招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/14

中学校で進めている「言語技術教育」についてである。
昨年度一緒に学んでいた愛する中学2年生諸君の取り組みをのぞいてみた。

文章を書くことをはじめ、表現することに長けた生徒たちであったが、さらに成長を見せてくれている。

 

現在の取り組みは、画像のような「4コママンガから物語を作ろう」というテーマで進んでいた。

例によって、物語の構造を意識して、5W1Hに気をつけつつ、構成メモに従い、文章を綴っていく。その取り組み振りは見事なものである。

ある少年の作品を紹介しよう。

 昔々あるところに、太郎君と次郎君という2人の兄弟がいました。悲しいことにこの兄弟は父と母を交通事故で亡くしてしまいました。
 ある日、2人が父の部屋を片付けていると、机の引き出しの中から古い地図と手紙、そして鍵を見つけました。
 手紙には「これが読まれている時、私はこの世にはいないだろう。この地図にはわが家の宝物のありかが示されている。太郎、次郎、どうか2人で見つけてくれ。」と記されていました。2人は久しぶりに父とつながったような気がして嬉しくなりました。
 2人は迷いながらも地図に示された場所へ行きました。そこは森の中にある古い家でした。家に入り宝物を探しました。時間がかかりましたがついに宝物が入っていると思われる箱を見つけました。
 その箱には鍵穴がついており、2人が持っていた鍵がぴったりと合ったのです。箱を開けてみると1枚の写真が入っていました。それは2人がまだ幼かった頃に撮った唯一の家族全員が笑っている写真でした。2人の目からはぽろぽろと涙があふれました。
 2人はもう悲しいとか寂しいとかいう気持ちはありません。なぜなら2人の心の中には父と母がいつまでもほほえんでいるから。

 
いかがだろうか。本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/13

朝7時30分の長崎日大である。

「闘将」久保教頭率いる朝の清掃が続いている。今年度からは、「ミスタークリエイトコース」今井教頭も加わった。

晩秋となり、毎日掃いては散り、散っては掃くの繰り返しである。しかしながらおかげさまで気持ちのいい登校時の学園風景となっている。

物事を継続するのは難しい。ちょっとしたことでも億劫になることもある。暑い夏もこれからの寒い冬も続けている先生方に敬意と感謝である。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/12

鷲田清一さんの「わかろうとする姿勢」は、平成20年代の中頃に読んだ覚えがある。確か、河合隼雄さんとの対談をもとにした共著ではなかったかと思う。ざっくり200字程度にまとめてみると、

他者の全てを理解することは不可能だ。なぜなら人間は完結し固定化した存在ではないからだ。さらに私たちは自分のことさえ理解できない。それなのに、他者を理解できるわけがない。このようなことから、理解というものは感情の一致、意見の賛同を得ることではなく、自他の違いを明確に知り、その上での過程を続けることだと言える。大切なことはたとえ理解できなくてもわかろうとする姿勢を心がけることである。

こんな感じだろうか。

思えば、高校時代の吾輩は「おまえの考えてることなんて全部わかっている」などと言う言葉をかけられるのが大嫌いだった。

半世紀以上生きた今でも「自分のことは自分にしかわからない」と思う。しかし、「わかろうとする姿勢」と「自分がわかってもらいたいことをわかってもらうための言葉の力」が大切だと言うことは高校時代よりも痛切に感じるようになった。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/11

明日からの週では、現代文の新しい単元として「わかろうとする姿勢」という鷲田清一さんの評論文に入る。

授業のための予習というものに取り組んでいる日曜日である。
とはいえ、ぐーたらな吾輩であるので、やることは三つだけである。

①生徒たちと一緒に読み進めていく上で、語彙(普遍的な言葉の知識)として 必要なものを適切に説明できる準備。
②普遍的な語彙ではないが、文中における比喩表現として用いられている語句 と箇所をわかりやすく説明できる準備。
③一般的に設問として尋ねられるであろう事項を想定しての解答・解説の準  備。

吾輩の準備はこれだけなのである。現代文を指導する時にあまりにも重箱の隅をつつくような指導はしない。段落や構成にそこまでこだわることもない。

現代文学習の肝は、初見の文章に対してある程度「読み砕く」ことができる。その上で提示される設問をしっかり把握できる。設問に対する解答として論理と知識をもって答えることができる。

これだけなのである。もちろん、そこに吾輩のこだわりや「ここで話しておきたい」という余談が入り交じるのであるが。

愛する1組2組の生徒諸君との授業が楽しみである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/10

本日は、長崎日大「秋のオープンスクール」であった。

好天にも恵まれ、高校は500席用意した体育館の椅子もあっという間に埋まり、階上のバルコニーまで生徒さん・保護者様が入った。その後の説明会も大会議室には収まりきれず、説明会を入れ替えで2回実施した。
中学校はたぶんこれまでで一番多い約300名、プラス保護者様であった。午後からの過去問説明会も200名近い人数で進めている。

本当にありがたい話である。本日お会いしただけでも卒業生のお子様は多い。特に吾輩が担任・担当した世代が親御様となってお子様の入学を考えていただいているケースが少なくない。とてつもなく嬉しいが「年とったなぁ」とも感じてしまう。

さらに当時の保護者様がお孫さんを連れての説明会参加という何ともしみじみするパターンがある。

「私学っていいなぁ」と思う。そして、長崎日大の最大最高の特徴は「兄弟姉妹、親子」の入学が多いことだと常々思っていたが、加えて「三代続けての長崎日大」が増えていることに誇りを感じるのである。

ただし、慢心してはいけない。学校・教員というものに「満点」「絶対」はない。吾輩たちは、常に変化し成長する中高生を相手にする存在である。「良い」という人がいれば「悪い」という人がいるのが当然である。「良い」という評価に勇気をいただき、「悪い」という評価に戒めをいただくのである。どちらもありがたい。特に「悪い」という評価には敏感でありたい。「良い」ばかりの学校・教員などあり得ない。勇気と戒めを抱きつつ前進していきたいものである。

本日はここまで。

 

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