招き猫先生の『ことちか日記』H30 6/19

近頃、目立たないところであるが、長崎日大の中で「大忙し」の部署がある。教務主任の坂本和昭先生である。今年度より、高校の学務担当の教頭となった吾輩も大いに助けていただいているありがたい存在である。

一般的に「教務主任」というポジションは学校の全ての教育活動の司令塔である。しかし、現在は通常の校務に、日本学生支援機構の大学予約奨学金の手続きに向けての対応が大きな業務として加わっている。

生徒さんに対する説明・保護者の皆様からの電話への対応、手続き内容の変化も手伝って、端から見ている吾輩もその煩雑さに驚くほどである。

しかも我らが教務主任は親切かつ丁寧な対応を怠ることがない。学校の先生ではなくて、まるで「企業のお客様対応窓口」「お役所の親切な公務員」に匹敵する仕事ぶりである。しかもそれと併行して国語の授業や指導も万全にこなしている。

学校という組織の中の仕事に「軽重」はなく、すべての教職員の心を込めた仕事と責任感、プライドというもので動いている。吾輩は毎朝の職員朝会で勢揃いした教職員の顔ぶれを見て毎日わくわくする。これだけのメンバーが揃っていたら心強いことこの上ないなと。

その中でも「教務主任」、大したものである。本日はサッカーワールドカップの初戦で、その話題で持ちきりであるが、坂本和昭先生は吾輩にとっての「キング・カズ」である。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 6/17

6/15の拙ブログに書いた「むずかしいことをやさしく…」のフレーズに対して、友人からメールが届いた。

その内容は「大好きな言葉を取り上げてあったので嬉しかった。」「お互いまだまだ授業力を磨き続けよう!」「ちなみに…」と続いていた。

「ちなみに…」の後には、井上ひさしさんの言葉の続きが書いてあった。

『ゆれる自戒』
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
まじめなことをだらしなく
だらしないことをまっすぐに
まっすぐなことをひかえめに
ひかえめなことをわくわくと
わくわくすることをさりげなく
さりげないことをはっきりと
書くこと


最初の4行しか知らなかった。文章を書くときの自戒だったんだなぁと感心した。この友人とは吾輩が24~25才の頃(なななんと最早30年前である)、巷で「これはすごい!」と噂になる国語の先生がいたら全国どこであろうと可能な限り会いに行き、授業を見せていただき、お教えを乞うていた時代に知り合った盟友である。有名私立高校の教員だった彼は現在某大手予備校の講師を勤める傍ら、自分でも私塾を開いている。

とまれ、この言葉との出会いが自らの国語の授業を見つめ直す刺激となったのは確かである。吾輩たち一般的な国語の先生はだいたい週に18コマくらい授業をする。放課後講座や夏休みとかの講座を入れると年間40週として最低でも800コマはやるだろう。吾輩が33年目であるから、800コマ×32年間として、2万5千コマである。
これだけやってもまだまだである。教材も対象や目的も変わる。授業を提供する相手、つまり生徒さんたちの気質も変わる。ゴールはないのかも?である。しかし、いつも変わらず全力でゴール(ベスト)を目指すのである。

本日はここまで。

 


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招き猫先生の『ことちか日記』H30 6/15

長崎の名物と言えば「カステラ」であろう。やはり「Fさや」のカステラをお土産に持っていくと東京の皆様大喜びである。吾輩は「Fさや」のカステラと並んで「S翁軒」のチョコラーテも好きである。

6月10日の西日本新聞「春秋」に、S翁軒が発行している文化誌「よむカステラ」のことが取り上げてあり、その反響が各所から聞こえてくる。吾輩も「よむカステラ」を手に入れて読み進めてみた。もちろん「食べるカステラ」をほおばりながらである。

特に、西舘好子さんが元夫の故井上ひさしさんのことを書いている部分が印象に残った。

井上さんが色紙に好んで書いたフレーズである。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに…」

吾輩は平生、「難しいことを難しく教えるのは凡庸、易しいことをかえって難しい教えるのはダメ、難しいことを易しく説くのが理想」と話している。それだけでは自らの意を言い表せていなかった。

まさしく、吾輩が目指す授業である。国語教師生活30数年となるが、まだまだこの域には達していない。でも、こんな素敵な言葉を見つけたことで今日の授業はいつもより少しだけ「やさしくなれたかも?」「わかりやすくできたかも?」「生徒に何かプラスαを提供できたかも?」である。

これも「ことちか」、「言葉の力」である。


本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 6/13

今週の水曜日に「弁論大会」が開催された。今年で18回目となる。その詳細は学園のHPに詳しいのでご覧いただきたい。

思えば、遠い遠い昔、吾輩も弁論大会に出場した覚えがある。おそらく当時の長崎日大には「弁論大会」という文化はなく、当時の生徒会顧問であった梅本博先生のお骨折りで実現したものではなかったかと思う。

全校生徒の前で真面目な弁論をするという行為は「からかい」の対象となるような風潮の当時であった。

吾輩は「討論のススメ」というタイトルで弁論を行った。40年ほど昔のことなので内容はほとんど覚えていないが、高校生として真剣な議論を行うことが大切だと思うと力説したことだけは覚えている。それに対する周囲の反応は薄いものだったが。

先日の弁論大会の様子やその後に回収されたアンケートを読んでいると長崎日大の文化レベルの驚くべき向上を感じるのである。今年の最優秀・優秀・優良の三賞を男子が独占したことも嬉しい現象であった。

言葉を持つ少年・少女が論理的に討論を見せてくれる時代となっている実感がする。

本日はここまで。

 


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招き猫先生の『ことちか日記』H30 6/12

巷では「米朝」でもちきりである。

近頃、授業で読んだ新聞記事の「諸外国と比較して、日本の若者は自己肯定感が低い」という文章に対して、生徒たちと一緒に盛り上がった。

生徒たちからは「確かにそうだよね」というものから「外国と比較されなくていいのでは」「日本人の奥ゆかしさもあるのでは」「自己肯定が強すぎるのもいかがなものか」「自己肯定が強いやつは嫌いだ」「自己否定することが結構多い、どうしよう」などなど、活発な意見が続出した。

吾輩は「それでよし」と思う。青春期において「自分はなんてダメなやつだ」と自己嫌悪・自己否定に一時まみれることはそれほど(程度の問題はあるが)悪いことではない。それに対して「あーだ、こーだ。あーでもない、こーでもない」と意見が生まれる方が健全である。

ポピュリズムの問題まで絡めようとは思わないが、吾輩は、自己肯定と自己否定を程よくバランス良く抱く人間の方が逆に安定感があるような気がする。自信満々、リア充自慢、ポジティブの塊みたいな人物も悪いとは言わないが、過ぎると疲れる。もっと過ぎると危険である。

「米朝」に限らず、国家レベルの問題にしても、一個人レベルの問題にしても、
本日の漢文の授業にも出てきた。「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし」である。

「青春の感情は猶ほ紫陽花の色のごとし」である。

本日はここまで。

 

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