招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/15

近頃読んでいる本である。新聞広告で見て「面白そうだなぁ」と思っていたら、立ち寄った書店に並んでいたので購入した次第である。

「ビリギャル」が偏差値40アップ&難関大学合格できたのは、もともと才能があったから? ――「地アタマ信仰」をただちにヤメよう!
「自分には才能がない」は、努力をしない人の言い訳です。
すべての人に“才能の芽"はあります。その“芽"を、どうすれば見つけ、花開かせることができるか? やるべきは、今ある状況の「認知」、目的へ向かうための「動機づけ」、そして「正しい努力」です。 どんな人でも“自分の才能で輝ける"ようになるための、驚異のメソッド。


ネット上でもこのように紹介されている。なかなかに魅力的である。しかし、これを「鵜呑みにして何かをする」というわけにはいかない。世に星の数ほどある啓発本を礼賛することも否定することも必要ない。必ず学ぶべき点がある。極端な傾向もある。自らに当てはまることもそうではないこともある。

だからこそ、常に様々なことを学び続け、これまでの経験と照らし合わせ、知識と考え方を自らの中に醸成させるのである。

読書のみならず、「魅力的な人物との出会い」も同様である。

価値ある物はお手軽ではない。何かを得るためには「思考」「時間」「自己認識」が必要である。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/14

中学校で進めている「言語技術教育」についてである。
昨年度一緒に学んでいた愛する中学2年生諸君の取り組みをのぞいてみた。

文章を書くことをはじめ、表現することに長けた生徒たちであったが、さらに成長を見せてくれている。

 

現在の取り組みは、画像のような「4コママンガから物語を作ろう」というテーマで進んでいた。

例によって、物語の構造を意識して、5W1Hに気をつけつつ、構成メモに従い、文章を綴っていく。その取り組み振りは見事なものである。

ある少年の作品を紹介しよう。

 昔々あるところに、太郎君と次郎君という2人の兄弟がいました。悲しいことにこの兄弟は父と母を交通事故で亡くしてしまいました。
 ある日、2人が父の部屋を片付けていると、机の引き出しの中から古い地図と手紙、そして鍵を見つけました。
 手紙には「これが読まれている時、私はこの世にはいないだろう。この地図にはわが家の宝物のありかが示されている。太郎、次郎、どうか2人で見つけてくれ。」と記されていました。2人は久しぶりに父とつながったような気がして嬉しくなりました。
 2人は迷いながらも地図に示された場所へ行きました。そこは森の中にある古い家でした。家に入り宝物を探しました。時間がかかりましたがついに宝物が入っていると思われる箱を見つけました。
 その箱には鍵穴がついており、2人が持っていた鍵がぴったりと合ったのです。箱を開けてみると1枚の写真が入っていました。それは2人がまだ幼かった頃に撮った唯一の家族全員が笑っている写真でした。2人の目からはぽろぽろと涙があふれました。
 2人はもう悲しいとか寂しいとかいう気持ちはありません。なぜなら2人の心の中には父と母がいつまでもほほえんでいるから。

 
いかがだろうか。本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/13

朝7時30分の長崎日大である。

「闘将」久保教頭率いる朝の清掃が続いている。今年度からは、「ミスタークリエイトコース」今井教頭も加わった。

晩秋となり、毎日掃いては散り、散っては掃くの繰り返しである。しかしながらおかげさまで気持ちのいい登校時の学園風景となっている。

物事を継続するのは難しい。ちょっとしたことでも億劫になることもある。暑い夏もこれからの寒い冬も続けている先生方に敬意と感謝である。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/12

鷲田清一さんの「わかろうとする姿勢」は、平成20年代の中頃に読んだ覚えがある。確か、河合隼雄さんとの対談をもとにした共著ではなかったかと思う。ざっくり200字程度にまとめてみると、

他者の全てを理解することは不可能だ。なぜなら人間は完結し固定化した存在ではないからだ。さらに私たちは自分のことさえ理解できない。それなのに、他者を理解できるわけがない。このようなことから、理解というものは感情の一致、意見の賛同を得ることではなく、自他の違いを明確に知り、その上での過程を続けることだと言える。大切なことはたとえ理解できなくてもわかろうとする姿勢を心がけることである。

こんな感じだろうか。

思えば、高校時代の吾輩は「おまえの考えてることなんて全部わかっている」などと言う言葉をかけられるのが大嫌いだった。

半世紀以上生きた今でも「自分のことは自分にしかわからない」と思う。しかし、「わかろうとする姿勢」と「自分がわかってもらいたいことをわかってもらうための言葉の力」が大切だと言うことは高校時代よりも痛切に感じるようになった。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 11/11

明日からの週では、現代文の新しい単元として「わかろうとする姿勢」という鷲田清一さんの評論文に入る。

授業のための予習というものに取り組んでいる日曜日である。
とはいえ、ぐーたらな吾輩であるので、やることは三つだけである。

①生徒たちと一緒に読み進めていく上で、語彙(普遍的な言葉の知識)として 必要なものを適切に説明できる準備。
②普遍的な語彙ではないが、文中における比喩表現として用いられている語句 と箇所をわかりやすく説明できる準備。
③一般的に設問として尋ねられるであろう事項を想定しての解答・解説の準  備。

吾輩の準備はこれだけなのである。現代文を指導する時にあまりにも重箱の隅をつつくような指導はしない。段落や構成にそこまでこだわることもない。

現代文学習の肝は、初見の文章に対してある程度「読み砕く」ことができる。その上で提示される設問をしっかり把握できる。設問に対する解答として論理と知識をもって答えることができる。

これだけなのである。もちろん、そこに吾輩のこだわりや「ここで話しておきたい」という余談が入り交じるのであるが。

愛する1組2組の生徒諸君との授業が楽しみである。

本日はここまで。

 

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