招き猫先生の『ことちか日記』H28 11/13

愛する中2諸君と学びを進めている「論証」が、次の段階に突入した。

さて、復習である。「論証」とは何ぞや。

「論証」とは、「根拠を述べて自分の考えを主張すること」である。日本の教科書にはこう述べてある。これは間違いではない。しかし、中1から国際基準の言語技術トレーニングを体験している愛する中2諸君は、まず自分の考えを明確に(「誰が」「何を」をはっきりさせて)述べてから、「なぜなら」「その理由は」とその根拠を述べる習慣が身についている。

日大中では「自分の考えを述べてその根拠を述べる。」を論証の基本パターンとしたい。

「論証」が完成したら、そこからの発展は「反論」である。なぜなら、「論証」は議論のための第一歩であり、双方の論証の積み重ね・応酬によって論理的な議論は成り立つのである。

では、「反論」とは何か。
①私はアニメ『ドラえもん』の主役はドラえもんだと思います。
②私はそうだとは思いません。のび太だと思います。

この単純なやり取りは日常の話し合いの場でよく見受けられるものである。中学生どころか、大人でさえこのやり取りをしてしまっていることがある。

この①②はそれぞれ「論証」となっていない。当然「議論」とも言えない。そして②は俗にいう「反対意見」になっていないのである。

①には「根拠」が欠けている。「反論」とは相手の「根拠」を受け止めて、それを吟味し、どこに自分が納得できないのかを主張することであるから、①②はお話にならないやり取りなのである。

例えば、
①私はアニメ『ドラえもん』の主役はドラえもんだと思います。なぜなら、タイトルが『ドラえもん』だからです。
②私はそうだとは思いません。のび太だと思います。なぜなら、のび太のほうがおもしろいからです。

とすれば、①②をそれぞれ「論証」ということはできる。しかし、②は①に対する「反論」にはなっていない。なぜなら、②は①の「根拠」に対応したものになっていないからである。正しい「反論」をするとしたら、

①私はアニメ『ドラえもん』の主役はドラえもんだと思います。なぜなら、タイトルが『ドラえもん』だからです。
②私は、タイトルが主役だとは限らないと思います。なぜなら、主役の名前以外がタイトルとなっているものがあるからです。

このような形となる。

いささか理屈っぽくなるが「反論」をしっかり理解しておくことは、今後の学びや実生活においてとても大切なのである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H28 11/9

前回に引き続き、福田恆存氏について語りたい。といっても、福田氏を語っているコラムについて語るのである。

吾輩が定期的に購読している刊行物はいくつかあるのだが、全国的な私立中学校情報や受験シーンのトレンドを見逃さないために熟読しているものがある。みくに出版「進学レーダー」である。

その「進学レーダー」に、荻原魚雷氏のコラム「魚雷の教養」が連載されている。2016の6月号に、「心遣いと節度」というタイトルで、福田恆存についての文章があった。

ちと、引用してみよう。

 学生に教育と教養の違いを問われたさい、福田恆存はこんなふうに答えている。「教養というのは根本は心遣いです。細かい心遣いです。」教養がないというのは「相手の気持になってつき合う気持」がない状態を指す。自分勝手で心遣いのない人は、いくら頭がよくても人望を得られない。人生の目的は幸福になることと考えると、教養の根幹に心遣いを据えた福田恆存の考え方は今でも十分通じるだろう。
 福田恆存著『私の幸福論』(ちくま文庫)にも「教養について」という一章がある。この章では、教養とは「節度でもあります」と述べている。さらに彼は「自分の位置を測定する能力」「たえず流動変化する諸関係のなかで適切に行動する能力」を重視する。
 心遣いにしても節度にしても、それは余裕があってはじめて生まれる。苦しいときでもまわりに心遣いができるのが、余裕のある人だとすれば、余裕のない人はその逆だ。

最後は、
とはいえ、受験生に余裕はなくて当たり前。だから親までいっしょに余裕をなくしてしまうと子どもはもっとつらくなる。子どもに余裕がないときほど、親は福田恆存がいうところの「細かい心遣い」ができるかどうかが問われる。こちらのほうが、受験よりはるなに難題かもしれません。
と受験専門誌のコラムとしてまとめている。

見事なり。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H28 11/8

言語技術の先進校である横浜にある森村学園の林宏之教頭先生と久しぶりに電話で話した。林先生は、吾輩が三森ゆりか先生の「言語技術」と出会い、学び始めたころに出会って以来、教えを乞い続けているありがたい存在である。

林先生からは、多くのことを学ばせていただいている。中でも、福田恆存(つねあり)の著書との邂逅は吾輩にとって大きな喜びであった。欧米型の言語スキルである「言語技術」とは直接結びつかないイメージではあるが、私たち日本人が「言語技術」を学ぶ際に心に留めておかなければならない思考・思想を福田恆在氏の文章に感じた。

福田氏の著書『私の國語教室』には、日本の国語教育が抱えてきた大きな課題が指摘されている。また、福田氏の学生たちへの特別講義をまとめた『人間の生き方、ものの考え方』には時代を超えて若者たちに伝えたいメッセージが凝縮されている。

要頻読であると感じ、折に触れてページをめくるのであるが、先日「教育と教養」の章に目が止まった。特に「教養というのは根本は心遣いです。あらゆる対象に接して、品物でもいいし、人間でもいいわけですが、そのときにいつでも相手の気持ちになってつき合う気持、それが私は一番根本になければならないと思います。」という言葉は、「リベラルアーツ」「グローバル」「アクティブラーニング」という言葉が踊る昨今において大切な考えだなと思うのである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H28 11/2

愛する中2諸君が先日受検した「日本語検定4級」の結果が戻ってきた。
日本語検定協会が発表している「日本語検定の受検級と受検の目安」では、5級→小学校高学年・中学生
4級→中学生・高校生
3級→高校生・大学生・社会人
となっている。

昨年度は全員で「5級」を受検し、合格率90%以上の驚異的な結果を残した愛する中2諸君であるが、今回の「4級」は中学3年の後半から高1が適正な受検時期となっている。また、全国模試等で、かなりの学力を誇る現高2が中2のときに受検したときの合格率は約50%だった。よって、正直なかなか難しいかなと思っていた。さて、

結果は、82名受検
合格が62名
※あと一歩という「準認定」が18名
不合格が2名というものだった。 

過去問による練習の段階からある程度の手ごたえを感じてはいたが、

合格率75.6%という結果には驚いてしまった。この結果は全国のどこの中2と比較しても胸が張れるものだろう。

「それだけの言葉の力を持っている集団なんだ」と改めて思うのである。それぞれの教科や分野、日常生活の中で得手不得手、うまくいっている・いっていないなどなど悩みもあるだろう。しかし、言葉の力は生きる力である。どうか自信と誇りを持ってこれからも歩を進めてほしいものである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H28 10/30

本日は桜菊祭、長崎日大の文化祭である。リオ五輪の銅メダリストとなった永瀬選手の凱旋もあり、オープニングから大いに盛り上がっている。

吾輩も今日は文化祭ネタでと思ったのだが、朝からのことを書きたくなった。

この画像は、今朝の中学校校舎前のバスケットコートの様子である。今日は文化祭なので多くのお客様が来校される。ある少年が落ち葉を掃いてくれていた。これだけのことなのだが、吾輩は嬉しかった。誰に指示されたのでもなく、朝早めに登校した少年は落ち葉が散っているコートを見て、竹ぼうきを手にしたのだろうか。

吾輩は、日大中の生徒諸君に道端に落ちているごみを自然に拾うことができる生徒になってほしいなぁと願っている。
男子諸君には「大きな荷物と小さな荷物を運ぶときには、黙って大きな荷物を運ぶような男になれ」と言っている(自分のことは棚に上げているのだが)。

世界大会で優勝しても、オリンピックでメダルを取っても以前と全く変わらない謙虚さ、礼儀正しさで人と接している永瀬選手、誰も見ていない早朝に今日訪れるお客様のために落ち葉を掃いている男子中学生、どちらも長崎日大の誉れである。吾輩の宝物である。

本日はここまで。

 

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