招き猫先生の『ことちか日記』H27 6/18

kodsuchiわが長崎日大六年制コースには「相互参観公開授業」という企画が学期に二回設定されている。読んで字のごとくであるが、教職員も保護者様も自由にそれぞれの授業を参観して良い期間なのである。

吾輩は思う。私立の真骨頂として「いつ、誰に見られてもいい授業、そして、ここにしかない授業」を展開しておかなければならないと。

確かに、他の教職員や保護者様が見ているといつも以上に気合が入る。緊張感がある。また、参観授業だからといって特に意識する必要はないから普段どおりやる。というように色々な考え方があるのもわからないではない。

しかし、ここに大きな注意点が存在する。
いつもどおりの授業を展開してよいのだが、せっかく参観してくれているギャラリーに対して、どのような意図を持って、その授業を進めているのかがわかるような、ある程度の資料(プリント1枚でいいから)を準備するサービスマインドなどは必要ではないだろうか。ただし、あまりにもいつもと違うスペシャルなもの過ぎてもいけない。生徒たちは「先生はお母さんが来てるといつもと違う」などと大人の事情(笑)を感じとるかもしれない。

結論である。
いつもと同じでいいのである。しかし、観に来ていただいたギャラリーを納得させ、安心させるものでなくてはならない。
つまり、いつも渾身の力をこめたスペシャルな授業をやることが当然なのである。

学校の魅力は、進学実績、部活動、設備や生徒支援などさまざまにある。しかし、生徒さんたちの学校生活の大部分を占めているのは「授業」なのである。朝8:30~夕方18:30の10時間600分の中で授業は45分×7コマの315分と約半分を占めている。放課後の進学講座60分×2コマの120分を加えると全体の7割が授業となる。ひとコマひとコマの授業は最も大切な時間であり、生徒たちにとって充実した自らの成長を実感できる時間でなくてはならないと吾輩は考えるのである。

息の詰まるような厳しい瞬間、長々と言い聞かせる時間、みんなで大笑いする瞬間、リラックスしてみんなで語り合う時間、集中して問題に取り組む時間、様々にあって良い。どのような授業内容であろうが、それが綿密な教材研究に裏づけされたものであり、生徒たちに対する愛情と自身の教師としての矜持が込められているものであれば。

昨日、本日と吾輩の授業を数名の保護者様が参観してくださった。「感謝」である。どのようなご感想を持っていただいたかはわからない(ご心配な点などもあっただろうなと思う)が、全力でいつもの授業を展開した。数名のお母さんたちから「自分が楽しめました」とか、「自分が中一のときに受けたかった」などとお言葉を頂戴したのは有難いことであった。

本日はここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 6/17

maneki

前回の言語技術トレーニング「再話」のその後である。
約二十分間、生徒たちは全員原稿用紙に向かって一心不乱に書きまくった。自分の中からあふれ出てくるストーリーを必死で文章として書き綴っている姿は輝いていた。

前回も言ったが、普段は「とにかく書くのが苦手」「何を書いていいかわからない」という生徒もいる。しかし、全員がガンガン筆を進めているのである。「再話」の効果はさまざまにあるのだが「聞き取る力の養成」と「書くことに抵抗がなくなる」という点は大きなポイントであると思う。また、個人差はあるものの、間違いなく「書くことが速くなる」のである。

生徒の作品をひとつ紹介しよう。

 

 昔あるところに、お母さんと男の子が二人で暮らしていました。其の家は、毎日の生活にも困るほど貧しい家でした。
 ある時、お母さんが病気になりました。薬を買うにもお金がなかった男の子は、仕方なく権造というおじさんのところへお金を借りに行きました。しかし、権造おじさんは欲張りで意地悪な人で、
「お前たちなんかに貸す金は無い。」
と、お金を貸してはくれませんでした。男の子が困り果てて、とぼとぼと帰り道を歩いていると、白いひげを生やしたおじいさんに会いました。
「どうしたのかね。」
と、おじいさんに優しく声をかけられて、男の子は正直にわけを話しました。すると、おじいさんは自分が履いていた一本歯のげたを脱いで、男の子にくれました。そして、
「このげたを履いて転ぶと小判が出てくる。でも、必要がない時に転ぶと背が低くなる。このげたを履いて転ぶのは、本当に必要な時だけにしなさい。」そう言って、おじいさんは行ってしまいました。男の子は帰り道で、そのげたを履いて試しに一回転んでみました。すると、小判が一枚出てきました。男の子がもう二回転ぶと、小判が二枚出てきました。男の子はおじいさんの言いつけを守り、三枚だけ家に持って帰りました。
 ところが翌日この話を聞きつけて、権造おじさんは、
「小判の出るげたを二、三日おれに貸してくれ。」
と言いました。権造おじさんはげたの使い方をちゃんと聞かずに、無理やり持っていきました。家に着くと、座敷に風呂敷を広げ、げたを履いて転びまくりました。
 さて、それからしばらくして、男の子が様子を見に行くと座敷は小判でいっぱいでした。小判の山をかき分けて進んでいくと、げたと小さい虫を見つけました。男の子はその小さい虫を捨てました。そして、たくさんの小判とげたを持って帰り、お母さんと男の子は幸せに暮らしていきました。
 ところで、男の子の捨てたあの虫は、転びすぎて

 

ここまででタイムアップだったようである。
ざっと、原稿用紙二枚と少し、二十分間で書き上げている。

「再話」を綴る際に吾輩が注意するのは
①一文一義(一文でひとつの意味)のつもりで、あまり一文
 を長くしない。
②接続語や指示語を上手に使う。
③主語を安易に省略しない。
この三つなのである。

これはわかりやすい文章を書くための基本的な心得でもある。
上記の生徒作品はまだまだ甘い箇所はあるものの、かなりのレベルで吾輩の注文に応えてくれている。太字にした主語に当たる部分を見るとわかりやすいが生徒たちが(というよりも日本人が)書く文章としてはなかり主語が多いと感じるだろう。言語技術トレーニングの大きなポイントは「主語を明確にする」である。これは会話でも文章でも同様である。上記の文章は吾輩の期待をはるかに上回るクオリティーであった。恐るべしである。今後が楽しみで仕方がない。

本日はここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 6/15

kanban先週実施した言語技術トレーニング「再話」について語りたい。

再話の題材として使用したのは「宝のげた」というショートストーリーである。参考までに、以下に全文を掲載する。

 

 昔あるところに、お母さんと男の子が二人で暮らしていました。二人は毎日の生活にも困るほど貧しい暮らしをしていました。
 ある時、お母さんが病気になりました。薬を買うお金すらないので、仕方なく男の子はおじさんにお金を借りに行きました。おじさんは権造という名で、とても欲張りで意地悪でした。案の定おじさんは、
「おまえたちになんか貸す金はない。」
と言って、お金を貸してくれません。男の子は困り果て、どうやって薬を手に入れようかと思いながら、とぼとぼと家に帰りかけました。すると途中で、白いひげを生やしたおじいさんに会いました。
「どうしたのかね。」
と、おじいさんに優しく声をかけられて、男の子は正直にわけを話しました。男の子の話を聞いたおじいさんは、自分が履いていた一本歯のげたを脱いで、男の子にくれました。そして、
「このげたをはいて転ぶと小判が出る。しかし、必要のない時に転ぶと背が低くなる。だからげたを履いて転ぶのは本当にお金が必要なときだけにしなさい。」
そう言って、おじいさんは行ってしまいました。男の子は大喜びで、さっそく帰り道でそのげたを履いて転んでみました。すってん!するとおじいさんの言った通り、チャリーンと一枚小判が出て来ました。男の子がさらに二回転んでみると、小判が二枚出ました。でも、男の子はおじいさんの言いつけを守ってそれ以上転ぶのはやめ、三枚の小判を大事に持って家へ帰りました。
 ところが翌日この話を聞きつけて、権造おじさんがやって来ました。おじさんは男の子に、
「小判が出るげたを二、三日わしに貸してくれ。」
と催促しました。男の子は、
「でも、おじさん、そのげたには、使い方が・・・」
と言いかけました。けれどもおじさんは、
「うるさい、使い方ならわかっている。ただ転べばいいんだろう。」
と言うなり、むりやり男の子からげたを取り上げて帰っていきました。そして、家に帰ると戸を閉め切って座敷に大風呂敷を敷き、げたを履いてその上で、ごろりん、すってんと転がり始めました。すると、小判がチャリーン、ジャラジャラと、見る間にどんどん出て来ました。
 さてそれからしばらくして、男の子は権造おじさんがどうしているかと気になって様子を見に行きました。男の子が家の戸をあけてみると、座敷中小判でいっぱいです。でも、おじさんの姿はどこにも見えません。男の子が小判の山をかき分けながらおじさんを捜していくと、あのげたが出て来ました。男の子がげたを拾い上げてふと見ると、小さな虫がついています。男の子は虫をつまむと、その虫をぽいと捨てました。そして、山のような小判とげたを持って帰り、お母さんと幸せに暮らしました。
 ところで、男の子の捨てたあの虫は、実は権造おじさんだったのです。権造おじさんはあんまり転びすぎて小さくなり、とうとうちっぽけな虫になってしまったのでした。今でも権造虫という虫がいますが、それは、この欲張りおじさんがなったものだそうですよ。

というお話である。

 

①まず、後で復元してもらうということを伝えた上で、このお話を吾輩が読んで聞かせる。
※メモなどは一切取らずに「しっかり聴く」ことに徹する。

②段落の最初(文中の太字の部分)を板書して、ストーリーを辿ってみる。
※ここが言語技術の真骨頂である。

昔あるところに に続いて、「誰が」「どうした」などと問いを重ねていくのである。生徒たちは自分の記憶を頼りに夢中になって答えていく。
こんな感じである。


昔あるところで誰がどうした?
「お母さんと男の子が暮らしてた」
どんな感じで?
「貧乏」
ある時どうした?
「病気になった」
誰が?
「お母さんが」
病気になったらどうする?
「病院にいく」「薬を飲む」
どっちだった?
「薬」
薬のために何がいる?
「お金」
お金はあった?
「なかった」
だからどうした?
「借りに行った」
誰が?
「男の子が」
誰に?
「おじさん」
おじさんの名前は?
「ごんぞう」

という形で、ストーリーを再構築していくのである。
※この段階では、吾輩は要所を板書していくが生徒たちにはメモなどはとらせない。あくまでも問答スタイルで進めていくのである。
普段の授業ではおとなしい生徒もこの場面では驚くほど発言が増えていく。

根気強く、問答を重ね、最後までストーリーをなぞったら、

③原稿用紙を配布して、お話を復元するように指示する。

※ここでもうひとつのポイントがある。
④最後にもう一度、吾輩が読むことを伝えるのである。
 生徒の目が「キラッ」と光る。
 今のままではあやふやなことが多く、お話の復元ができるかどう
 か心配なのだが、もう一度話が聞けるとなると、かなり助かると
 いった感じが生徒たちにあふれているのである。
 しかも、もう一歩生徒たちの食いつきを良くするポイントが、
 「今回はメモをとっていいよ」と投げかけるのである。この言葉
 にはものすごい効果がある。
 普段の授業では、吾輩がうるさく言って、やっとノートに記すよ
 うな生徒であってもこのときは夢中になって書き始めるのであ 
 る。まるでメモできることを喜んでいるかのようにである。
 「しっかり聴いて、しっかりメモする」この基本的で大切だがな
 かなか普段できない行動を生徒たちは自発的にやるのである。

⑤最後の読みが終わって、さあ書いていいよ!と言うと、生徒たち
 は普段は作文が苦手でまったく書き進めることができないような
 生徒であってもガンガン書き進めていく。
 原稿用紙の升目がみるみる埋まっていくのである。


今回は約20分ほどで試してみた。
速い生徒は原稿用紙2枚、800字近くにまで達していた。この「宝のげた」自体が1200字弱であるから、三分の二は復元しているのである。
言語技術トレーニングのさまざまな要素を含み、日常的な言語活動のスキルを向上させていく「再話」の効果はすぐに現れるものではないかもしれない。しかし、聴く・書くという基本的なことと物語のストーリー展開のセオリーを学び、その捉え方を学ぶことにより、将来的には一冊の本を丸ごと復元することができる。また、その上で創作活動にまで発展することができる。


吾輩の夢は広がる生徒とともに

本日はここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 6/11

nyau1高校総体もほぼ終わり、今週末の中総体に向けて、我が日大中の部員諸君も頑張っている。さて、問答ゲームを中心に進めてきている「言語技術トレーニング」であるが、本日の講座では「再話(さいわ)」というジャンルに挑戦してみたい。

吾輩が長年の国語教師生活の中で得た経験則がいくつかある。その中のひとつとして、国語に強い生徒は「再話」がうまいということが挙げられる。

では、「再話とは何ぞや」である。
例えば、ある映画を観たとする。その内容をまだ観ていない人に話して聞かせるとする。
これがうまくできるかどうか。ここには大きな差があらわれる。丁寧すぎても伝わらない。大雑把でもダメ。自分の印象だけで話しても相手はストーリーを把握できなかったりする。

以前、こんな実験をしたことがある。
①クラスの生徒を5~6人の数チームに分ける。
②さらにそれぞれのチームをAとBに分ける。         
③Aの生徒たちに10分程度のショートムービー(起承転結のはっ
 きりしたストーリー)を見せる。              
④しばらくして、各チームにおいて、ムービーを観たAの生徒たち
 からムービーを観ていないBの生徒たちにそのストーリーを語っ
 て伝えさせる。                      
⑤最後に各チームのBの生徒たちにムービーのストーリーを発表さ
 せる。

①~⑤を実施すると、各チームが発表したストーリーが驚くほどに違うのである。
「伝言ゲーム」ではないが、ストーリーが勝手にゆがめられ、省略され、付け加えられているのである。

この生徒たちは、全国模試の偏差値もかなりのものを持つレベルの集団であった。
なぜこのような現象が起こるのか?
それは物語のストーリーの捉え方をトレーニングしていないからである。
また、ストーリーの伝え方のポイントを知らないからである。

何となく国語がうまくいく生徒たちには、教わってはいないけど「再話」がそこそこ的確にできるというタイプが多い。それを「センス」でかたづけてきたところが吾輩たち国語教師にはあるかもしれない。しかし、発想は逆にすべきだろう。

「再話」がうまい生徒が、何となく国語がうまくいくのであれば、「再話」をトレーニングしてその技術が身につけば「国語がうまくいく!」と考えたいのである。

まあこの論理が通用するのかどうかはやってみなくてはわからないが、技術指導である以上、やらなければゼロである。やったからダメになるということは絶対にないのである。

さて、本日の講座どうなるか?楽しみである。
その結果はまた後日ご報告しよう!

本日はここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 6/5

tsunahiki

今週の言語技術トレーニングは「問答ゲーム」の「ナンバーリング」に突入した。「ナンバーリング」とは、

あなたは○○が好きですか。という問いに対して、

私は○○が好きです(嫌いです)。
なぜかというと、「   」からです。
だから、私は○○が好きです(嫌いです)。

といった答え方を徹底して練習していく問答ゲームの理由の部分を二つ挙げる手法のトレーニングである。つまり、

私は○○が好きです(嫌いです)。
その理由は二つあります。
一つ目は「   」からです。
二つ目は「   」からです。
だから、私は○○が好きです(嫌いです)。

という形になる。
「なんだ、大して変わらないな」と思うことなかれ、である。
二つの理由を挙げるというのはなかなかに難しいのである。
高校生であっても即答は厳しい。

理由のルールは、その理由を聞いて周囲のみんなが「納得」「共感」し、「それなら好きだ(嫌いだ)というのはもっともだな」と思わせる説得力のあるものでなくてはならないというものだ。
それに加えて、二つの理由をあげる場合は着眼の方向が異なっていなければならない。
例えば、

あなたは学校が好きですか。という問いに対して、
私は学校が好きです。
その理由は二つあります。
一つ目はいろんなことを学べるからです。
二つ目は英語が学べるからです。
だから、私は学校が好きです。

これではダメなのである。
「いろんなこと」の中に「英語」が含まれてしまうのでよくない。二つの理由は観点が異なるものが望ましい。

一つ目はいろんなことを学べるからです。
二つ目は友達と楽しく遊べるからです。

このパターンが理想的である。

このナンバーリングを続けていると、生徒たちに変化が見られる。それは理由の作り方のコツを覚えてくるのである。
対象となるものの「良い部分(イメージ)」と「悪い部分(イメージ)」、プラスとマイナスのポイントを意識して挙げていくのである。
そして、自分が好きか嫌いかではなく、理由として挙げやすい方を選んで答えるようになってくる。
問答ゲームの目的のひとつが少しずつ見えてくる。

「物事には必ずプラス・マイナスの両面があり、決して片方だけの見方はできない」という真理にたどり着くのである。「物事を批判的に見る」というのはこれに近いかもしれない。クリティカル・シンキングの第一歩である。

今週の言語技術トレーニングの様子を見ていてその手ごたえを感じた吾輩である。

本日はここまで。