招き猫先生の『ことちか日記』R1 11/8

柿が美味しい季節となった。
晩秋である。夕暮れになると「夕焼け小焼け」のフレーズが浮かんでくる。

夕焼け小焼けで日がくれて 山のお寺の鐘がなる 
お手々つないで皆帰ろ 烏と一緒に帰りましょう
子どもが帰った後からは 円い大きなお月さま 
小鳥が夢を見る頃は 空にはキラキラ金の星

作詞者である中村雨紅(うこう)氏は、何を隠そう、日本大学の校友である。日本大学高等師範部国語漢文科であるから、吾輩の直系の先輩である。

雨紅先輩の随筆に以下の文章がある。

人間は生まれると同時に知ると知らざるとに拘わらず梵鐘の音を耳にしたものであり、更に長ずるにしたがって、朝夕聞くその鐘の音を意識するようになる。山や野に又川に遊びほうける子供達、親子兄弟共にそれぞれの職場において家業の手伝いに励み、あるいは工場において働く者の心に響く鐘の音は、それぞれにちがった感じを与えることであろうが、とにかく鐘の音は、私共にとっては一日を命の中に暮した喜びと安心を与えてくれる何とも、言いようのない有り難さをしみじみと響かせてくれるものでである。子供は子供なりに、大人は大人なりに、老人は老人なりに過去から現在へ更に未来へと鐘の音は一筋に、それからそれへとつながって、苦しかった時の事も、懐かしい思い出の一こまとしてくれるほんとに温い、目には見えない一生の、はたまた人生のフィルムである。(『大法論』昭和43年12月号)

長崎日大において、山のお寺の鐘が聞こえてくることはないのだが、1日の最後をつげるチャイムの音や夜7時に一斉に始動するスクールバスのエンジン音、家路を急ぐ生徒さんたちの笑い声などは、吾輩にとっての「鐘の音」と言えるかもしれない。

本日はここまで。

 

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