修学旅行について、ふと考えた。
他校の先生たちと話していても「どうしますか?」という会話になる。各校何とか実施したいが、「今後のなりゆきがあまりにも不安」という点が共通している。
学識の高い先生の言を借りると、修学旅行には大きく二つの狙いがあるそうな。
一つは、異なる地域の自然、文化、産業や人々の暮らしなどに触れ、これまでの学習をより深化、拡充、実践化し、その知見をこれからの学習や生き方に生かすという面。
もう一つは、生徒間、教師と生徒、出会った人々との交流を通して、人間関係や生き方を深め、集団生活の在り方や社会生活のルールや規範を身につける面。
と、このように書くと、何やら仰々しく堅苦しく感じられるが、ひとつひとつの文言を見ると、これまで長崎日大で実施してきた修学旅行において「求めてきたもの」と合致する部分が多いことに気づく。
吾輩が覚えているだけでも、国内、中国、韓国、シンガポール・マレーシア、香港・マカオ、さらにデザイン美術科のパリ、中高一貫のオーストラリアなどなど、時代や時節の変化に対応し、多彩に実施してきた。
青春時代の大きな思い出となる修学旅行である。
当然のことながら楽しいものであってほしい。
しかし、「何のための修学旅行なのか」ということを参加する生徒さんたちも引率する先生たちも、計画・参加するみんなで考え、共有しなくてはならない。
これは、修学旅行のみならず、あらゆる学校行事やイベント等に共通することだと思う。
「何を求めるのか。」の認識なくして、帳面消しの如く、行事を消化することは、あまりにももったいない話である。
今後の修学旅行にしても、各種行事にしても、未だ予断を許さない状況である。
担当者や該当学年、コース・科において、懸命な検討と柔軟な準備が進められている昨今である。
県内においても、中止、大幅な時期の変更、目的地の変更、規模の縮小など、さまざまなことを耳にする昨今である。
いずれにせよ、多少のリスクを背負いつつという感がするが、生徒さんたちの青春の良き思い出となり、良き学びと経験となる修学旅行が実施できればなぁと思うところである。
本日はここまで。