招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 8/16

学園HPにもご紹介してあるが、昨夜放映された「炎の体育会TV」という番組に、長崎日大中学校陸上部の宮崎さんが出演した。
番組を観た卒業生の皆さんから「テレビ観たよ。良かったね。」と、たくさんご連絡いただいた本日である。

時を同じくして、今月の「陸上競技マガジン」に、長崎日大陸上部が6ページにわたり、掲載されていた。

その記事の中に、長崎日大の陸上部の歴史が少し語られていた。

前監督である中島憲一先生をはじめ、貝原澄子先輩(おそらく、長崎日大の創立以来、初めての全国に知られたアスリートではないかなと思う。)やその後に全国上位レベルで活躍した岩元憲一郎さん、岸川勇さんの名前もあった。

「陸上部のOB、OGの皆さんも喜んでくれているだろうか。」

吾輩にとって、長崎日大の陸上部の思い出は、学校の近く、多良見町にあった前山さんという下宿屋さんから始まる。

平成になったばかりの当時、担任を務めていたクラスに陸上部員がいた。Sさん、Hさんという元気娘たちであった。

その後、Mくん、Fさんと続く。

その子たちがお世話になっている下宿屋さんということで、ご挨拶にうかがったのである。

下宿している生徒たちは皆、そこのご主人と奥様のことを「父ちゃん、母ちゃん」と呼び、何とも温かい大家族のようにして暮らしていた。

若い頃の吾輩もその仲間に入れてもらい、失礼ながら、「父ちゃん、母ちゃん」呼びをさせていただいた。しょっちゅう尋ねては、晩ご飯のカレーなどごちそうになったものである。

昭和から平成の途中まで、長崎日大の陸上部を支えていただいた有り難い存在であった。

残念なことにご主人は亡くなったのだが、今回の「陸上競技マガジン」を持って、父ちゃんにお線香をあげに、母ちゃんに近況の報告に行こうと思う。

生徒さん、保護者様、教職員の皆さん、卒業生に支えられ、歩を進めている長崎日大であるが、それぞれの時代に様々な形で長崎日大を助けてくださった皆様がいることを忘れてはいけない。

ご恩を忘れず、一生懸命に、生徒さんたちを育てていくことで「前山の父ちゃん」への恩返しとしたいものである。

本日はここまで。

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