招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R4 10/3・4

アントニオ猪木さんが亡くなった。
ひとりのプロレスラーとしても多くのファンを魅了した存在であったが、国会議員就任をはじめ、様々な生きざまを昭和・平成・令和と世の中に見せてきた一代の傑物であったという点は異論のないところだろう。

毀誉褒貶の激しい猪木さんであるが、昭和のプロレスファンである吾輩が、小学生当時から憧れを抱き続けた存在である。

熱烈なファンとして数多くの興業を観戦したが、猪木さんと直接お話ししたのは生涯でわずか1度だけである。

大学進学後、上京した際、何とか一度は会いたいと、当時の六本木にあった猪木さんのお店(ときどき猪木さんが来るという情報があったので)に通いつめた。

1週間ほど経った頃だったか、ついに会うことができた。

興奮して何を話したかはほとんど覚えていないが、吾輩が教員志望であることを話すと、「せっかく長崎から東京に出てきたのならしっかり勉強と経験を積んで良い先生になれよ。」「私はどんなに忙しくても毎日3時間トレーニングをしている。君も頑張れ!」と激励してくれたことだけは鮮明に覚えている。

40年前の話である。そのとき書いてもらったサインもすっかり色褪せてしまった。

良い先生になれたかどうかはわからないが、その後、テレビ等で猪木さんの姿を見る度に自分を奮い立たせてきた。

おそらく、全国各地に吾輩のような気持ちで頑張ってきた昭和の少年たちが驚くほど数多くいることだろう。

賞讃もある。批判もある。しかしながら、吾輩たち世代に鮮烈なインパクトを残した偉大な存在であると思う。

今はただ、猪木さんの冥福を祈りたい。有り難うございました。合掌。

 

本日はここまで。

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