中学校の入試があったため、本日が始業式となった長崎日大である。
始業式、学級委員任命式、至誠推進主任の話と続き、表彰・伝達と進んだ。
放送部の皆さんによるリモートでの進行もお手の物である。
表彰は2学期の終業式に収まらなかった陸上部とソフトテニス部の皆さんである。特に、男子ソフトテニス部の今般の活躍はトピックと言えよう。
画像にある県大会の優勝旗とともに写る部員さんたちは、それぞれに県内上位に位置するダブルスのペアである。
今後の成長、春季戦や高校総体に期待したい。
吾輩はお話の中で、高校3年生の皆さんへの激励、中1~高2の皆さんへのお願いなどを語りつつ、サッカー日本代表監督の森保さんについて、以下のようなエピソードに触れた。
さて、2学期の終業式で少し触れましたが、昨年のサッカーワールドカップでその存在感を世界に示した 森保一監督の契約が更新され、引き続き、日本代表の指揮を執ることが報道されました。
森保さんは、私が長崎日大に赴任した昭和61年の高校3年生です。森保さんがJリーグのサンフレッチェ広島の監督に就任していた2012年頃に会って話したことがあります。
彼がそのとき話してくれたことに、「自分は高校も社会人もJリーグも日本代表も、そして、監督としても、すべてのカテゴリーにおいて、最下位からのスタートでした。」という言葉がありました。
確かに、高校時代は国見高校の全盛期が始まるところでしたし、社会人となってもすんなりプロ契約ができたわけでなく、日本代表となっても「この人誰?」みたいな感じで、「森保」という名前すらまともに読んでもらえなかったそうです。監督就任も外国人監督との契約が上手くいかなかったための代役といった感じのスタートでした。
そこから、森保さんが話してくれたのは、自分が置かれた状況の中で腐ったり、諦めたりしないで、常に最善を尽くすということを丁寧にやって来たお陰で、次のドアが見えてきたし、開いてきた。ということでした。
1986年当時、全国大会出場の経験もない長崎の無名の高校3年生がサッカー日本代表の監督となり、世界に認められる存在になることなど、それこそ世界中の誰も予想できなかったことだと思います。
私が今日この話をしたのは「森保さん、すごいな」と思っていただくためではありません。それで終わってほしくはありません。皆さんに覚えておいていただきたいのは、「吾も人なり、彼も人なり」という言葉です。これは、漢文の授業で聴いたことがあるかもしれませんが、中国・中唐の時代の文人で、唐宋八大家の一人である韓愈の 言葉です。
私は、誰もが日本代表になれるなどと軽くいうわけではありません。世の中それほど簡単なものではないでしょう。しかし、それぞれの置かれた環境の中で、腐ることなく、諦めることなく、流されることなく、落ち着いて丁寧に全力で取り組んでいけば、自分が思うよりも、とんでもなく高いところまでは到達していける可能性を皆さん全員が持っているということは言えるのではないかなと思います。
吾も人なり、彼も人なりです。今を嘆くのではなく、今を丁寧に頑張ることで必ず次のドアが見えてきます。そのドアを開ける度に皆さんは驚くほど成長していきます。
令和5年が始まった。令和4年度を締めくくる第3学期も始まった。
生徒さんに言うだけでなく、吾輩も「丁寧に」「全力」で取り組むことを肝に銘じたいところである。
本日はここまで。