本日は長崎に生きる吾輩たちにとって、忘れられない、忘れてはいけない日である。心静かに、平和を祈る1日としたい。
おそらく、吾輩世代(昭和30年代生まれ)が子供の頃、ふれあった大人の皆さんは、吾輩の父母もであるが、所謂、「戦中派」である。当時、長崎に在住していれば「原爆」を体験している。
吾輩の父は当時、中学2年生だったと聞く。吾輩が19歳のときに、50歳という若さで世を去った父だが、戦争中のことはあまりにつらい記憶としてほとんど語ってくれなかった。
小学校3~4年の担任であったI先生は被爆地に近い工場で働いていたそうな。そのとき負った怪我の痕を見せながら、平和の大切さを語ってくれたことを今でも覚えている。
当時、I先生が読み聞かせをしてくれた「夾竹桃の花さくたびに」という本の内容も覚えている。
小学校3~4年の2年間であったが、I先生の言葉、教えは、吾輩を「国語の先生」へと導く最初のきっかけとなったと思う。
毎年の平和学習の際、吾輩は、マザーテレサの言葉を引用して、「世界の平和のために、まずは自分と周囲の人を大切にする」ということを生徒さんたちにお願いしている。
世界を変えることは容易ならざることかもしれないが、長崎日大を誰にとっても平和な空間にしていきたいものである。
ただただ「平和」に感謝し、恒久の平和を祈る本日である。
本日はここまで。