さて、拙ブログご愛読の皆様は、長崎日大の創立から平成10年くらいまで、「秘書科」という学科があったことをご存じだろうか。
そもそも、長崎日大がスタートした昭和42年、普通科・経営科・秘書科(あとにも先にも女子だけのクラスはここだけであった。)・デザイン科(産業デザイン科と服飾デザイン科の2クラス)という4つの学科が存在した。
時の流れに応じて、現在は普通科に3つのコース、デザイン美術科という皆様ご存じであろうスタイルとなっている。
吾輩が長崎日大に着任した昭和61年に入学してきたのが、20回生の皆さんである。
今回お話しするのは、そのときの「秘書科」の皆さん。
高校2年生のときに「国語」の授業を担当したのが吾輩である。
まあ、教員なりたての吾輩が女子ばかりの秘書科の皆さんに翻弄されるのはもちろんであり、「先生!」と呼ばれず、「池内くん!」などと呼ばれからかわれていた。
遠足の記念写真になぜか入っているのもたぶん「池内くんもおいで!」と呼ばれたからだろう。
とはいえ、担任の濱中先生のご指導はなかなかに厳しく、「やるべきことをちゃんとやれる」しっかり躾けられた生徒さんたちであったと記憶している。
卒業後、同窓会などで、幾人かの皆さんとは再会(保護者様としての再会も含めて)はあったのだが、今般、30数年の時を越えて、その秘書科でのクラス会が計画されているそうな。
10月の開催に向けて、グループLINE(なぜか、その中に吾輩も参加している)などでの連絡が頻繁(ピコンピコン状態である。)になっている。
デザイン美術科もそうであるが、やはり、3年間クラス替えなしの繋がりは格別なのだろうなぁと今更ながら思う。
10月のクラス会には吾輩も参加させていただいて、久闊を叙したいものである。
本日はここまで。