ラグビー経験者だけでなく、ラグビーというスポーツに興味がある人にとっては本日は特別な日である。
なぜなら、2015年にイングランドで行なわれたラグビーワールドカップで、日本が南アフリカを破った日だからだ。
過去7度のワールドカップでわずか1勝に終わっていた日本が、2度の優勝を誇り、プール戦(予選リーグ)では1度しか負けたことのない南アフリカを撃破したのだ。
「ラグビーほど、強者有利のルール設定となっているスポーツはないのでは」と思えるほど、番狂わせが少ない競技である。
その「ジャイアント・キリング」は、超ド級の衝撃とともに、世界へ広がっていった。「あらゆるスポーツの競技を含めて史上最大の番狂わせ」と言われ、その舞台となった都市の名前を冠して「ブライトンの奇跡」と呼ばれるようになった。
「奇跡」という言葉から吾輩がすぐに連想することがある。
それは、長崎日大の創立10周年記念誌に掲載された、松原博一先生(当時、日本大学藝術学部教授であり、本校の法人理事を務めていただいていた。本校の校歌の作詞者でもある。)の文章である。
松原先生が寄稿なさった文中に、「緑の丘にそびえ立つ長崎日大高校よ。よくぞここまで育ってくれたものであるという深い感慨に襲われるのである。(中略)苦節10年、まさに無から有を創造する奇跡を現じたといわざるをえない。」という言葉がある。
創立期に在職した先輩諸氏から「創立時の苦労」はよく拝聴したものだが、前身となる学校もなく、いわゆる「オーナー」も存在せず、ただただ、郷土出身の永田菊四郎先生(当時、日本大学総長)と日本大学への愛校心を発火点とし、「新しい学校を創ろう」という気概で、万事不如意の10年間を乗り越えていったことは想像に難くない。
創立から連綿とつながる先人の皆様、その時々の教職員、生徒さん、保護者様、関係の皆様のご理解とご協力により成り立ってきた長崎日大である。
「ブライトンの奇跡」の本日、40数年前に「奇跡を現じた」と言われた長崎日大の創立の頃を思い浮かべつつ、創立10周年記念誌の頁をめくる吾輩であった。
本日はここまで。