招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 7/8

昨日までの雨があがり、良いお天気の長崎日大であるが、先般来の豪雨による各地の被害が報じられ、胸が痛む本日である。

今後においても、明日夕方から雨が激しくなるという予報もあり、未だ復旧が明確ではないJRの状況など、不安材料が多い。とにかく、生徒の皆さんの安全第一に考えなければと思う。

さて、本日何気なく手に取ったのが、平成13年度の卒業文集『貝津』である。長崎日大の卒業生ならばよくご存じであろう。昭和の時代から続く卒業文集である。

校長の巻頭言に始まり、高校3年生の一人一言と担任からの惜別の辞、各クラスの紹介文、各部活動の代表による挨拶などなど、その学年の思いがこもった一冊となる。

「平成13年度と言えば、中3から高3まで担任を務めた学年だな。」と思い、ページをめくってみた。

不思議なことにあまり読んだ覚えがないのである。

決して「老化」のためではない。ましてや、印象に残っていなかったわけでもない。吾輩の35年間の長崎日大生活の中でもかなりインパクトの強い学年だった。

「が、しかし」である。自分が書いた文章さえ、「こんなこと書いてたんだ。」
と言うくらい不思議であった。

しばし考えて、腑に落ちた。

答えは簡単。

卒業に浸る余裕がなかったのである。

卒業式前の2月25日には、国公立大学の二次個別入試前期日程や私大の入試を終えていたわけだが、高校3年生の担任としては、まだまだ受験真っ最中である。

たぶん、3月1日の卒業式のHRにおいても、「明日から学校に来て後期日程の準備をしろ。」くらいのことは言ってたはずである。

『貝津』を読み耽る余裕はなかったのだろう。

担任として綴った文章も今となって読むと、肩に力が入りすぎた「もう目一杯だねー」と言いたくなるような文章である。正直恥ずかしい。

しかし、19年前、クラスをわしづかみにして爆走していたような自分が懐かしく、微笑ましく(生徒諸君からしたら、かなり迷惑な部分も多かっただろうが。)もある。

19年前の吾輩は、担任の生徒たちへの惜別の辞の最後にこう綴っている。

長い人ではなんと4年間、3年間、2年間とこの喜怒哀楽の差が大きく、わがままな私につきあってくれてありがとう。私の指導に納得のいかないことも腹が立つこともあっただろう。日々の生活の中にはつらいこと、せつないこともあっただろう。よく頑張ったぞ、本当によく頑張ったぞ。胸を張って卒業しろ。それだけのことはやってきた。卒業おめでとう。そして、ありがとう。「ダイヤモンドの原石※が輝きはじめてきた。」
※吾輩注 このときの生徒たちと中3でであった時に「君たちはダイヤモンドの原石だ。原石は磨かないと光らない。」と言い、ガンガン鍛え続けたのである。

改めて読むと、この『貝津』には、前理事長(当時は教頭)の野上先生、菅先生(このときの学年主任)、担任陣としては、梅本先生、今井先生、笠松先生、梁瀬先生、服部先生と今もご在職の先生方の珠玉の言葉が綴られている。

今後、機会を見つけてご紹介したいものである。

本日はここまで。

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