招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 9/15

本日の午後である。ちと調べ物があり、図書館の書庫をあれこれと見ていた。

ふと、ある書棚を見ると、長崎日大伝統の「卒業文集『貝津』」が並んでいる。
おそらく、第一号から令和元年度号まであるのだろう。

「長年、長崎日大に棲み着いているが『貝津』の第一号は見たことがなかったなあ。」と、興味が湧き、書棚を探った。

画像にあるように一冊の古びた色褪せた「貝津」を見つけた。第○号という表記もない。次の号は「第二号」と明記されているのだから、これが第一号に違いないと、ページをめくる。

巻頭言に、当時の校長であった玉城亀保先生の言葉がある。

まもなく、第二回卒業生を送り出そうとするこの頃、生徒会の方から顧問の先生を通じて「卒業生の言葉などを盛り込んだ文集をつくりたい」、所謂長崎日本大学高等学校広報的なものをつくりたいということで、開校四年目にして漸く心の余裕ができ、歴史の古い学校並のことをしようという計画であるので結構なことだと思った。

とあることから、「貝津」は第二回生の卒業のときから始まったことを知った。

現在の「貝津」は装丁もきれいで、カラー印刷、写真付きで見事な仕上がりを見せているが、時代の違いと予算の都合もあり、「印刷も活版にすることができず」という言葉も残っているように、質素なものである。

しかしながら、中身は濃い。

卒業生の一言も重い感じがする。所謂、昭和の香りがするのである。

吾輩の高校3年次の担任であり、高校3年間「国語」を教わった高橋渉先生の担任としての言葉も掲載されていた。

「誠心誠意」という言葉は私が常に卒業生に対して言ったことである。言うまでもなく人生は誠心誠意で生きるべきである。

で、始まる熱い文章である。久しぶりに恩師の口調を思い出した。

創立53年目を迎えている長崎日大であるが、その時代、その時代、それぞれの1年、1年の「至誠」と「勤労」の積み重ねが、長崎日大を「創造」してきたんだなあと改めて思う。

本日はここまで。

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