3学期の終業式、中学校の中学課程修了式(一般的には卒業式であるが、中高一貫なので)、を翌日に控えた本日。
それらの準備もともなって、校内はいつも以上に慌ただしく動いている。
と、言いつつも、校内には「ほっこり」する空間が幾つも見られる。
何かというと、先日卒業した高校3年生が改めて挨拶に来てくれているのである。
3月1日の卒業式は、国公立大学等の受験生にとっては、まだ道半ばであった。
合格の知らせを電話では伝えたものの、まだ先生たちと会ってない!という生徒さんもいるわけで、ここのところ毎日のように、卒業生諸君が「いい笑顔」で訪れてくれている。
担任の先生や教科担当の先生たちと談笑している姿は、実に微笑ましいものである。ちと羨ましくもある。
少し離れたところで、その幸せな様子を見ていると、一人の生徒さんが近づいてきた。高校1年の頃、国語を担当していた生徒さんである。
「先生、今、先生が言ってた言葉の意味がわかりました。」と話しかけられた。
「えっ、なんて言ったの?」
「全部覚えているわけじゃないんですけど、山に登っている途中は、ただきつく感じるだけで、周りの風景を見る余裕も、鳥のさえずりや小川のせせらぎの音も耳に入らない。どうして山なんかに登りに来たんだろう。もっと楽な道もあったのに。と思うだろ。でもね、頂上まで登り切ったときに、そこまでの道を眺めると、すごくいい気分なんだ。そこまでの道のりが誇らしく思えるんだ。みたいなことです。」と教えてくれた。
たぶん、入学したばかりで、高校のハードな学習にへばってきていた頃にかけた言葉だろう。
何を隠そう、実は、この言葉は受け売りである。
今は昔、力野先生(現理事長)のクラス(長崎日大の4代目の国公立大学進学クラス、今のアカⅠ)の副担任、国語担当を務めていたころの生徒さんM子さんが卒業文集「貝津」に残した言葉である。
後に、大阪大学文学部に進んだM子さんの国語力はすさまじく、県下一斉実力テストではトップをとり続けたほどである。
とまれ、へばっているみんなをなんとか励まそうと思い、かけた言葉を覚えていてくれたことは、素直に嬉しい。
大学生活においても今後の人生においても、生徒さんも吾輩たちも覚えておいていい言葉かなと思う。
卒業生の前途に幸多かれ!である。
本日はここまで。