招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R3 5/17

慣れないリモート(苦笑)ではあるが、カリスマと称される予備校講師、著名な教育研究家(現場での実践者としての実績もすごい)のお二人と話す機会があった。

「コロナ禍のために機会が激減した。」とは言いながら、全国的に飛び回って活躍しているお二人の話を「ふむふむ。なるほど。」とうかがっていた吾輩であった。

気がつくと3時間が経過していた。

有り難く、勉強になるお話だったのだが、最終的にお二人に共通したのが、

「生徒を成長させる」というよりも「生徒に成長したいと思わせる」ことが大切。よって、先生というのは優れたモチベーターでなければならない。という内容であった。

生徒を成長させたい。生徒を変えたい。生徒を勝たせたい。生徒を合格させたい。生徒を幸せにしたい。先生方をはじめ、学校に携わる人ならばみんなそう思い、願う。そのためにできる限りの努力をする。

しかし、ちとチャンネルをひねる(これも古い言い方か)ことも必要かなとふと思った。

生徒に成長したいと思わせる。生徒に変わりたいと思わせる。生徒に勝ちたいと思わせる。生徒に合格したいと思わせる。生徒に幸せになりたいと思わせる。

表現は違うけど、結局同じでしょ。と言うことなかれ。である。

やはり、何か違うのである。

おそらく、広い世の中には、既にその実践ができている先生方も少なからずいらっしゃることだろう。

しかし、凡庸な吾輩などは、根本にこの考え方をしっかりと据えておいて、常に意識しつつ、教育活動に臨むことが必要だなと改めて感じたのである。

そのために、学び続ける姿勢が必要である。論理的説明や技術的な根拠、データ等の裏付けのないモチベーターは単なる応援団(これも大切な場合もあるがだ)になってしまう。

学んだことを適切・的確に伝える「言葉の力」が必要である。「また、ことちか」と思うことなかれ。思いを伝える。知識を伝える。技術を伝える。何によって?言葉なのである。

何よりも、愛情基本の教育が必要である。本校創学者である永田菊四郎先生いわく、「愛情は、元来、教育の元である。人格の触れあいも、人間理解も、さらにはまた、研究や指導もみな愛情にもとづく。愛情なきところに教育なし。」である。

本日はここまで。

PAGE TOP