招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R3 11/18

長崎/大村湾
いつか夢見た冒険の旅へ出発!
@無人島「田島」~非日常の生活を楽しんでみませんか?

というセリフで、ネット上においても紹介されている大村湾の無人島「田島」におけるアクティビィティ施設と環境がある。

そこの主力として活躍している長崎日大OB田原さんが遊びに来てくれた。

まだまだ20代半ばの田原さんであるが、社会貢献の意識が高く、自分のお仕事だけではなく、あらゆることに着手し「世のため人のため」と活躍の場を広げている。この日も大学での学生さんたちへの講義のあと、立ち寄ってくれた。

その田原さんと小一時間、あれこれと話している中で、「近頃、落語をよく聞いているんですよね。」という話題と、「先生っ、教養って結局どういうことだと思いますか?」という話題の二つが出た。

思えば、国語の先生を30年近くやった頃だろうか。「落語みたいな語り口で面白くてため(大学入試にも充分に対応できる力を養う)になる授業をしたいなぁ。」と考え、上京の際は暇を見つけては浅草などの寄席をのぞいていた。

そもそも吾輩が落語に興味を持ったのは、大学時代の立川談志師匠との「笑える出会い※」がきっかけだった。
吾輩注「立川談志師匠との出会いについてはけっこう長くなるのでまた今度」である。

以来、立川流に限らず、古典から新作まで「雑食」の落語ファンなのである。

先ほどの田原さんの「教養」についての問いに対して、吾輩は答えた。

第一に、「教養」と学校での「勉強」とか「そこで得た知識」は異なるものではなくて、「教養」のなかに含まれていくもの。そして、それは使用することによって、年齢や地域を越えてコミュニケーションを図るための「共通言語」となる。学んだ内容もだけど、それを学んだときの体験なども共感・共有できる。

第二に、「教養」を豊かにしておくということは、表現が豊かになるということと、他者の表現(何かに例えた表現とかパロディー的なものも含めて)を理解しやすくなるということも言えるだろう。

縷々語ったので、あまりよく整理できないが、この二つは大切だと思う。

あとで思い出したのが、立川談慶師匠の「教養としての落語」という一冊である。さっそく田原さんにメールを送った。

拙ブログをご愛読の皆様の中に、落語に興味をお持ちの方がいらっしゃったらオススメの一冊である。

本日はここまで。

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