招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 6/19

以前、話しておいたが「招き猫先生のことちか日記」の場所が引っ越しである。学園HPの「重要なお知らせ」と一緒に吾輩の拙いブログが紹介されていたのでは「なかなか自由に語れないぞ」と、ちと気を遣った内容(そうでもないけどなと思われたかもだが)にしていたのである。

というわけで、本日は大好きな昭和ネタをひとつ。6/5の拙ブログにおいて、坂本龍馬の「人の世に道は一つということはない 道は百も千も万もある」という言葉とラグビー日本代表の「ビクトリーロード」について語ったことを賢明なる読者の皆様は覚えていらっしゃるだろう。その際に、あと2つ、吾輩が語りたい「道」があると記しておいた。

本日は残りの「道」に触れてみたい。何を隠そう、吾輩は「昭和の」プロレスファンである。

さすがに、力道山はしらないが、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の時代である。漫画の(1980年代に現実のタイガーマスクが登場したのには驚いた)「タイガーマスク」の世代である。

アントニオ猪木さんも今は元気なご老人となってしまったが、若いときはそれはそれは格好良かった。知名度も全国区であり、スポーツ選手の人気ランキングでも上位にランクインしていた。

本日ご紹介するのは、その猪木さんの言葉である。

様々な伝説を作り、プロレス界を牽引してきた猪木さんの引退試合が行われたのは、1998年4月4日で55歳の時だった。

そして行われた引退セレモニーの最後に挨拶とファンやプロレス関係者への感謝の言葉を述べると共に、格言とも呼べる『道』を述べたのである。

『この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道は無し。
踏み出せばその一歩が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。行けばわかるさ。』

ちなみに、この言葉は一休禅師の言葉とされているが、一説には、宗教家の清沢哲夫さんと言う方の作品の中で生まれたフレーズだったのではないかと言われている。

何でもかんでも「行けばわかるさ」では危ういのではあるが、若い世代の背中を押すにはいい言葉だなと思い、卒業アルバムに一筆を求められたときなどに記している。

最後の「道」については、また後日である。

本日はここまで。

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