招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 6/23

一昨日の日曜日、久しぶりに校外で卒業生と会った。
昨今の自粛要請によって長崎に戻ることができなかったらしい。近県でもあり、感染者数も少ない県であったのだが、大事を取って、21日に帰省したそうな。

久しぶりということで、食事でもしようかと、Y君、O君、N君の3人の卒業生と集まった。

ひとしきり、久闊を叙した後、「そう言えば、先生に聞きたいことがあったんですよ。」とY君。

先生は、この間のことちか日記に、※猪木の「道」っていう言葉を、卒業アルバムに書いてるって言ってたじゃないですか。
※吾輩注 6/19の「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。 危ぶめば道は無し。 踏み出せばその一歩が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」というアントニオ猪木の引退のときの言葉。

でも、僕が書いてもらったのは違う言葉なんですけど。あれって間違えてませんか?

えっ、そうなの?と(思わぬ攻撃にたじろぐ)吾輩。

続けざまに、O君、N君からも、実は僕たちが書いてもらったのも違うんですよね。しかも、「道」じゃないし。「道」は長いし、書いてないんじゃないですか(笑)。

いやいや、そんなことないよ。確かに書いてた覚えがある。長くて大変だなって思いながら書いてた。と吾輩。

笑いながら卒業生に鋭くツッコまれた吾輩であった。

その後の話で判明したのが、吾輩は卒業年度によって卒業アルバムに書く言葉を変えていたということなのである。

Y君のときは、「道はどんなに厳しくとも、笑いながらあるこうぜ。」、O君、N君のときは、「夢を持つやつだけが輝くことを許される。(たぶん、これが一番多い)」であった。

何を隠そう、どれもアントニオ猪木の言葉である。

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道は無し。
踏み出せばその一歩が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。行けばわかるさ。

道はどんなに厳しくとも、笑いながらあるこうぜ。

夢を持つやつだけが、輝くことを許される。

今後はこれを全部書かなきゃかなと思う吾輩であった。

本日はここまで。

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