招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 7/2

教育関係の雑誌を拾い読みしていると、

政府の「GIGAスクール構想」によって、オンライン授業が拡大すれば、知識の伝達は、それで賄える。その時、学校のメリットは、仲間と直接的に対話、協働できることだろう。まさに「主体的・対話的で深い学び」が、これからの学校の存在理由そのものとなる。

というコメントがあった。あくまでも長い文章の部分的な「切り取り」であるから、この部分のみを取り上げてどうこう言うつもりはない。

しかしながら、学校のメリット、存在理由を「仲間との対話・協働、主体的・対話的で深い学び」だけとするのは、ちと腑に落ちないのである。

学校は「生徒」がいてはじめて存在する。
しかし、「先生」という存在も大きい。
「先生」というのは「生徒」にとって、保護者以外の一番多く接する大人である。「生徒」は「先生」を見て、世の大人のイメージを抱いていく。

学校における「先生」は、知識や技術の伝達をするだけの存在ではない。

しばらく前からは「ティーチング」ではなく、「コーチング」だとか、「ファシリテーター」としての意識が必要だとかもよく耳にするようになった。

先生たちは「ティーチャー」だけでなく、「コーチ」「カウンセラー」「ファシリテーター」などなど、色々な看板を持たなくてはならなくなったらしい。

30数年前の初任の頃に聞いた「先生は、学者・医者・役者・易者じゃないといけない。」という言葉を思い出すくらいである。

吾輩は思う。
「ティーチャー」「コーチ」「カウンセラー」「ファシリテーター」などなど、「学者・医者・役者・易者」などなど、あらゆる側面を持っていてよい。持つべきだと。

ただし、もし、ひとつ、第一に掲げるものは何かと尋ねられたら、吾輩は迷わず、「人生を生きていくためのモチベーター」でありたいと答えるだろう。

それこそ、手法は様々である。

生徒と毎日毎日向かい合って、「どうすれば、この子たちを…」と悩みつつ、迷いつつ、あきらめることなく創意工夫をくり返して、挑んでいくモチベーターである。

本日、期末テストの2日目である。帰りのSHRを見て回っていると、どの教室からも、担任の先生たちの「叱咤激励」「おどけた声かけ」「的確な指示」「行き届いた連絡」などなどが聞こえてくる。

生徒の皆さんの反応もすごくいい。「ライブ感」満載であった。

時代遅れとご批判を受けるかもしれないが、「リアル」あっての「オンライン」であり、「チョーク&トーク」と「リアル&ビジュアル」は両方存在してこそ、相乗効果があるのではないかなと思うアナログな吾輩であった。

本日はここまで。

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