招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 9/29

明日から、第2学期中間考査である。
本日の帰りのSHRでは、恒例の「校訓実践講話」として、「拍手が起こる生徒指導講話」こと、肥田先生の声が校舎内に響いている。

当然のことではあるが、定期考査の受験上の注意にはじまり、コロナ対策、日常の生活における留意点などを丁寧に細かく説明している。

時々「半沢直樹」調になってくるところなどは、さすが、肥田先生である。

頭ごなしのお説教口調ではなく、どうにかして少しでも生徒の皆さんの印象に残そうと工夫をしている先生のお話に「感謝・感謝」である。

昭和の時代から平成を経て、令和となり、「生徒指導の在り方」もずいぶん変化したなぁと思いつつ、この放送をしているところを撮そうと放送室にいくと、肥田先生と、「長崎日大の永遠のルーク・スカイウォーカー」こと、菅博志先生の姿が。

肥田先生も菅先生も「昭和」の時代から長崎日大で同じ釜のメシを食ってきた先輩方である。

肥田先生はひとつ上なので、一番年の近い先輩として、菅先生は、国語科の先輩として、35年間可愛がっていただいているのである。

特に、菅先生は、なななんと吾輩が長崎日大の生徒であった頃に着任して来られたのである。

菅先生の他に、吾輩の高校時代に「長崎日大の先生」であった先生方で現在もお勤めいただいている皆様は、梅本博先生、梁瀬恒幸先生、堤博信先生、松尾清忠先生、そして、忘れちゃいけない、明倫館の笠松芳郎先生と本田哲也先生の全部で7名いらっしゃる。

改めてお名前を挙げると、ちとしみじみとしてしまう吾輩である。

上記の先生方をはじめとして、長崎日大は、それぞれの時代の生徒・保護者・先生がみんなで力を合わせて、「根負けしない」で創ってきた学園なのである。

拙ブログをご覧いただいている卒業生の皆様、もし近くにお立ち寄りの際は、先生たちに会いにご来校いただきたいものである。

画像は、昭和61年、吾輩が棲み着いた当時の「長崎日大」である。

第1体育館の「日大」の文字が鮮やかである。
中学校校舎と鳳雛舞館はまだない。
もちろん、旧校舎である。

本日はここまで。

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