東京書籍さんの教育情報誌「NEW SUPPORT国語Vol36」についての続きである。
作家の石井遊佳さんのエッセイが掲載されていた。
石井さんは2017年に『百年泥』で新潮新人賞受賞、翌年、同作品で芥川賞を受賞している。
2017のデビューのとき、海外での日本語教師経験と吾輩と同い年であることから印象に残っていた作家さんである。
石井さんがどのようなことを述べているのかと見ると、「古典は本当に必要なのか」という、これまた吾輩の興味関心をそそるタイトルであった。
全文を掲載したいくらいであるが、石井さんの語りをいくつか挙げてみる。
「一見役に立たない」ものの中にこそ得てして一生モノの知識があるものなのだ。
有益性や優先順位といった発想とは別の次元で「必要なもの」が人間にはある。
英語運用のスキルは大切だが、問題はその英語で何をしゃべるかと言うことだ。
「情報」等の教科により「役に立つ」ことを学ぶ教科が増えるならばなおさら「一見役に立たないが大事なもの」をしっかり教えるべきである。
真の知識(教養)は、遅れて効く薬であり、人生のどこかの空の下でじわりと効くものだ。他人に貸した金は返ってこないが古典を学ぶために費やした時間は生きていれば必ず返ってくる。
特に、最後の部分の「古典」は、高校での全教科における受験勉強に置き換えることができるだろう。
吾輩が敬愛する長崎日大の国語科の先生方の机上にこのエッセイのコピーを配布した。既に読んでいる先生もいることだろう。しかし、初めて目にして「我が意を得たり」と微笑む先生もいるはずである。
石井さんは次のようにも語っている。
「古典を選択科目に」と主張する人たちは、そもそも古典が好きではないのだ。なぜ古典が好きではないかというと、中高生のころ古文や漢文の授業が面白くなかったからだ。やはりそこは、現場で古典を教える先生方に頑張ってもらわないといけない。「一見役に立たないが大事なもの」は、学ぶことも教えることもどちらも決して甘くない。
本日はここまで。