先週ご紹介した日本大学の付属高校についての記述の中に、「長崎日大の創立の経緯は全国の準付属校の中でも稀有なものである。」と綴った。
端的に言うと、長崎県平戸の出身である永田菊四郎先生が、日本大学の第五代総長に就任なさったことが、長崎日大誕生につながったのである。
現在も本校創立の時に永田先生からいただいた「至誠・勤労・創造」の校訓は長崎日大のすべての教育活動の礎として揺るぎないものとなっている。
先日4/18の長崎新聞さんのコラム「水や空」に、永田菊四郎先生について詳しく触れた文章が掲載されていた。一部抜粋しよう。
▲永田氏は平戸生まれの法学者。大正期に苦学して日大を卒業し、ドイツに留学した。帰国後に日大教授となり、民法学の権威として名をはせた。1958年から死去直前まで日大第5代総長を務めた。▲晩年には私財を投じ故郷に永田記念図書館(紐差町)を建設したほか、長崎日大高校(諫早市)を創立した。「誠」を旨とし、多くの人に慕われた。▲その教えは胸を打つものが多い。有名なのが山芋の逸話だ。子どものころ、貧しい実家を助けるため、安満岳で山芋を掘って売り歩いた永田氏。日大総長となり、ある年の入学式で風呂敷から山芋を取り出すと「学問の掘り下げには山芋掘りのように忍耐と広い視野が必要」と訓示した。▲長崎日大高校の第一回入学式に贈った言葉が、「初めが大事心せよ」「本を重んじ、末に走るな」「望みは高く、身は低く」。万人に通じる人生訓だ。▲「フェアプレーでゆけ。その精神は試験に向かっても、実社会に出てからでも、最も大事な道である」(著書「青春の誇り」)。
ここまでご存じの方は少ないのではなかろうか。
さすが新聞社さんだなと感服する。みごとなご紹介である。
心から感謝を申し上げたい。
長崎日大の校門から日大坂を上がると、永田菊四郎先生の胸像がある。毎日毎日、日大坂を頑張って上ってくる生徒さんを見守ってくださっているように感じる。
本日はここまで。