招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R4 6/25~28

この土曜日から、第一学期期末考査に突入した長崎日大である。

先般の岩瀬日大さんへの訪問や日本大学の特別・準付属校の皆様との再会の折に、数十年前からの思い出話に花が咲いた。

平成28年に本校で開催した理事長・校長会の思い出を懐かしそうに語ってくださる先生方も多く、喜ばしいことだなと感じた次第である。

各付属校のご挨拶と近況紹介の中で、札幌日大の由来等についてのお話を聴くことができた。

「なるほど、そんな経緯で生まれた学校だったんだ。」と認識を新たにした吾輩であった。

至極当然のことではあるが。それぞれの付属校の創立にはそれぞれの経緯がある。

では、長崎日大の創立は「どのようにして」?とお考えの方もいらっしゃるだろう。

残念ながら、昭和42年4月創立の長崎日大である。今となっては当時のことを語っていただける方はいらっしゃらない。

しかしながら、本校の「創立10周年記念誌」に掲載された初代理事長の中村達先生や初代校長の管野新一郎先生のご寄稿にはかなり詳細な記述がある。

長崎日大が生まれたそもそもの契機は何と言っても永田菊四郎先生が日本大学第5代総長に就任なさったことである。

とはいえ、それで長崎に付属校ができるわけではない。

そこから、ある程度の歳月を経て、日本大学の校友会長崎支部長であった中村達先生をはじめ、数多の校友、地元の有識者、行政の尽力があっての長崎日大の誕生であった。

本校第2代校長であり、第2代理事長である玉城亀保先生の過去の記述に、
本校の場合、他の私立高校によく見るような「前身」があったわけでなく、財政的な基盤があったわけでもなく、全く無から有を作り出す営みであったので、敷地・資金・造成・構築・教具教材の整備・教員集め・生徒募集等々、中村達理事長や管野新一郎校長を中心として全職員粉骨砕身の努力を傾けられたことは想像に難くなく、また日本大学や長崎県当局をはじめ地域社会の方々のご指導とご支援をいただいて徐々に基礎が確立し、今日の成長を見たわけであります。

とあるように、本当に何も無いところから「新しい学校」を生み出したのである。

「創立10周年記念誌」にある松原博一先生(当時本校理事、日本大学芸術学部教授、※長崎日大の校歌の作詞者)が、
「苦節10年、まさに無から有を創造する奇跡を現じたといわざるを得ない。」と綴っていらっしゃるのも頷ける。

今、吾輩の前には、長崎日大のこれまでの「記念誌」がある。
10年刻みで5冊ある。

    

ここ数日かけて、改めて頁をめくってみた。一言一句丁寧に読んでみた。

それぞれの時代、それぞれの生徒さん、保護者様、先生方、職員の皆様、関係の皆様のご尽力によって長崎日大が創造されてきたことがわかる。

先人の尽力への感謝を忘れず、「今を」みんなで頑張らなければと思う吾輩であった。

本日はここまで。

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