しばらく夏季休業中の長崎日大である。とはいえ、部活動はそれぞれにお休みはとるものの、本日もいくつかの部活動は練習に励んでいる。
時折ザーッと降る雨にも負けず練習に励む部員の皆さんを見て、「湿度は上がるけど、気温は下がっていいかもな。」とお気楽なことを考えていた吾輩に「先生、濡れますよっ。」とビニール傘を持ってきてくれた生徒さんにいたく感激した吾輩であった。
お休みを利用して、小長井の木下伸弘先生(本校第7代校長)宅を訪問した。
以前にも拙ブログにてご紹介した永田菊四郎先生の「日本大学を思う※」の複製を和綴じで作るためのご指南をいただくためである。
※吾輩注 永田菊四郎先生の最後のご著書である「日本大学を思う」は、昭和年のに記すという記載で終わっている。永田先生がご逝去なさったのが昭和年の月日であるから、本当に最後の言葉と言っても過言ではないだろう。今や現存している冊数も少なく、木下先生所蔵の一冊をコピーして複製本を作ったのである。
木下先生のご指南のおかげで多少無骨な出来ではあるが複製本が出来上がった。
昭和36年発行の「青春の効用」、昭和39年の「青春の誇り」、昭和44年1月10日発行の「若い力」、そして、印刷の時期は定かではないが、巻末に「昭和44年12月15日記とあり、永田先生ご逝去(昭和44年9月18日)の後、完成本が届いたという「日本大学を思う」の4冊を手にすることができた。
お盆の時期ということもあり、細やかながら吾輩なりのご供養と思い、この4冊を改めて拝読した次第である。
長崎日大の校訓「至誠・勤労・創造」に関連するものをはじめ、皆様にご紹介したいものが多数出てきたが、それは後の機会に譲るとして、ひとつだけ取り上げておこう。
「青春の誇り」からの引用である。
日本大学の校旗はアカミをおびている。この色は朝日の昇る時に緋衣のような色が出る、(「諸君、朝方早く起きると太陽が真紅の色で、大気の中をおおらかに上って行くでしょう。あの気持、あの色」とも記されている。)あのカラーであり、真紅である。それに円満なしかも発展性を持っている。これが日本大学のカラーであり精神である。
ちなみに、長崎日大の校旗の色も緋衣の色である。
近年で言えば、日本大学が使用していた「N.(エヌドット)」の色である。
長崎日大のイメージカラーは、初代の制服ブレザーとスクールバスの紺色、初代制服のネクタイのエンジ色、日本大学の箱根駅伝の襷(タスキ)の色でよく知られているピンク色などいくつかあるが、正式なスクールカラーとなれば、やはり「緋衣の色」となる。
お盆が過ぎた今朝、学校の様子を見ていると、永田菊四郎先生の胸像の前を中学校の野球部の皆さんが元気な声を出しつつランニングを続け、西浦監督の話を真剣な眼差しで聴いている。
永田先生が微笑みつつ見守ってくださっているような気がした。
本日はここまで。