学園紹介

学園の沿革

昭和41年6月 設立準備委員会発足
昭和41年8月27日 設立発起人会結成
昭和41年9月1日 長崎日本大学高等学校設置申請書を長崎県知事に提出
昭和41年12月27日 長崎日本大学高等学校設置認可(理事長:中村達・校長:管野新一郎就任) 生徒定員 900名
昭和42年1月25日 日本大学との間に本校を準付属高等学校とする契約締結
昭和42年3月1日 南校舎並びに体育館竣工
昭和42年4月11日 第一回入学式挙行
昭和42年6月10日 開校式並びに落成式
昭和42年10月1日 至誠寮開設
昭和42年11月2日 校旗授与式
昭和43年6月20日 北校舎竣工
昭和44年4月1日 校訓制定「至誠・勤労・創造」
昭和44年11月22日 校歌発表会
昭和45年9月7日 向学寮開設

昭和45年10月3日 第一回体育大会挙行
昭和48年8月23日 創設者 永田菊四郎 胸像除幕式
昭和50年4月1日 生徒定員 1,950名に改定
昭和52年11月1日 十周年記念事業(音楽室・吹奏楽部練習室・地学実験室・生物実験室・記念の鐘竣工)
昭和52年11月25日 創立十周年記念式典挙行
昭和55年4月1日 三代校長:亀淵實 就任
昭和56年3月31日 十五周年記念事業(実践室棟竣工)
昭和56年6月30日 至誠寮・向学寮閉寮
昭和56年7月7日 十五周年記念事業(教育センター明倫館竣工)
昭和58年3月19日 第一回中国修学旅行実施
昭和58年4月1日 二代理事長 玉城亀保 就任
昭和60年4月1日 四代校長:岩永淳就任
昭和61年3月31日 二十周年記念事業(第2グランド竣工-テニスコート6面、サッカー場、野球場)
昭和61年5月31日 二十周年記念事業(第2体育館竣工)
昭和61年9月1日 二十周年記念事業(中庭造園「いこいの広場」竣工)

昭和61年9月27日 創立二十周年記念式典挙行
昭和62年4月1日 三代理事長:栗原賢太郎 就任・五代校長:山崎稔就任

平成元年4月 普通科に国公立進学クラス開設
平成2年4月 制服改定
平成3年2月13日 三号館竣工
平成3年2月28日 長崎日本大学中学校 設置認可
平成3年4月1日 法人名を学校法人長崎日本大学学園に変更(専門学科科名変更 経営科→経営情報科/秘書科→秘書英語科/デザイン科→デザイン美術科)
平成3年4月7日 中学校第一回入学式挙行
平成3年5月25日 二十五周年記念式典挙行
平成4年1月30日 カナダ、ブリティッシュコロンビア州立テンプルトン セカンダリースクールと姉妹校提携

平成5年4月1日 デザイン美術科学科変更(工業に関する学科→芸術に関する学科)
平成5年7月 第1回オーストラリア語学研修実施(中学校)
平成7年4月1日 四代理事長:北島照明就任
平成8年10月5日 創立三十周年記念式典挙行
平成9年4月1日 五代理事長:山崎稔就任/六代校長:岸浩一郎就任
平成11年4月1日 七代校長:木下伸弘就任
平成11年4月1日 専門学科科名変更 経営科・秘書科→総合情報科
平成11年4月1日 普通科に類型別クラス編成を導入
平成12年12月 第一回韓国への修学旅行実施
平成13年3月 校舎大改修竣工
平成13年10月6日 創立35周年記念式典挙行
平成14年4月1日 八代校長:中島勇就任
平成14年4月 中高一貫六年制コース導入
平成17年3月 第1回デザイン美術科フランス・パリ研修
平成18年10月 創立四十周年記念式典挙行
平成19年2月 新武道館・鳳雛舞館が竣工
平成19年4月 六代理事長:長江啓泰就任/九代校長:野上秀文就任

平成21年4月 七代理事長:野上秀文就任
平成21年4月 十代校長:力野孝典就任
平成26年11月19日 学園新キャンパス建設着工 安全祈願祭
平成26年12月1日 学園新キャンパス建設着工
平成28年3月15日 学園新キャンパス建設Ⅰ期工事竣工
平成29年4月1日 中高一貫六年制コースをクリエイトコースと名称変更
平成29年7月24日 全学年新校舎使用開始
平成29年11月12日 創立五十周年記念式典挙行
平成30年2月23日 新校舎竣工

平成31年4月 八代理事長:力野孝典就任/十一代校長:池内一郎就任

校歌・校訓

校訓

本校の目指す教育
人間の大道、日本精神の中核をなすもの、そして知性、礼儀、愛情、すべての徳の本をなす清きまことの心 それは 至誠 である。
学習に輝く瞳、スポーツに玉なす汗、そして最善の努力を尽くし、生きる喜びを築き上げるもの それは 勤労 である。
事を行い、物を制作するにあたり、模倣追従に甘んずることなく、より新たなもの、より良きものを開発する自発的生命活動 それは 創造 である。
至誠の心を基とし、心身の勤労に励み、創造の精神に生きる。
これこそ強く正しく明るい生徒の姿であり、その中に秘めるひとりひとりの豊かな可能性を拓き、あわせて校風を高め、さらに新しい祖国を支え、人類の福祉に貢献する大いなる道となるであろう。

創学者 永田菊四郎先生の想い

放送部・至誠推進部により制作された動画です。
創学者である、日本大学第5代総長 永田菊四郎先生のお姿が貴重な音声とともに写し出され、創立当初(昭和42年)の諫早市貝津町の様子も分かる思い出深い映像です。

開校にあたり「教育は心である」「学校とは、生徒・教員の心と魂が触れ合う場である」「親愛の情が漂う、”学”のみならず”楽”を得られる学び舎であれ」と語った創学者の熱き想いを受け継ぎ、貝津の丘に建つ生徒が主役の「学園」として進化を続けています。

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