夏休み、夏季講座、三者面談、運動部・文化部の各種大会と、長崎日大の夏が確実に歩を進めている。
夏季の進学講座は学力向上という視点のみならず、「安定した生活リズムの確保」という点からも有効かと思うのだが、日常の生活と比べると少し緩やかに時が流れている感がする長崎日大である。
忙中閑あり。周辺の整理整頓とともに、ふと手に取った「諫早文化」第17号の頁をめくってみた。
「諫早文化」、その名が示すとおり、諫早市芸術文化連盟の皆様による、諫早の豊かな芸術文化活動がぎっしり詰まった刊行誌である。
諫早の芸術文化活動を様々な形で継承、発展なさっている皆様へのリスペクトを抱きつつ、2006年の創刊号から拝読している吾輩である。
創刊号に掲載された、当時の市立図書館長である平田德男先生(長崎東高校長、長崎県教育次長を務めた方です。)の「芸術は人生の必要無駄」という玉稿にあった「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。」という言葉が今も頭に残っている。
これは夏目漱石の「草枕」からの引用であるが、世界情勢が揺れ続け、環境問題の不安が増し、経済状況もままならぬままに、またもやコロナ禍に翻弄される現在だからこそ、「文化芸術」というものを大切にしなくてはならないと思う。
そして、文化芸術は限られた「芸術の士」に限ったものではなく、市井に生きるすべての皆さん(「諫早文化」に掲載されているような多くの文化芸術を嗜好する皆さん)の手によって醸成されていくものだろう。
「諫早文化」第17号には、何とも喜ばしいことに、長崎日大中学校の生徒さんの随筆が掲載されている。令和3年度の第22回諫早市中学生・高校生文芸コンクールの随筆部門で最優秀賞をいただいた文章である。
ちと引用・抜粋してご紹介しよう。
私の学校は中高一貫校である。高校にデザイン美術科があるお陰で、階段、廊下、到る所に作品が飾られている。1メートル以上あるサイの頭の造形物が壁から突き出し、無数のレシートが規則的に並べられた作品が展示され、紙に描かれているのに浮き出て見える色鉛筆画が並んでいる。
学校生活は、勉強が大変だが、むなんとか頑張っている。放課後には、走るのが好きな人は走り、歌が好きな人は唄い、柔道、英語、生徒会とそれぞれが得意分野に時間をかけている。ここも憧れの学校、窓際のトットちゃんのトモエ学園に似ていて、学校の好きな所である。そして、私は文芸部に入っている。作品は3年間ひとつも書いていないが、みんな優しく受け入れてくれている。図書館の本を読み、友人の作品を読み、おすすめの本について話し、また本を読む。幸せな時間だ。もちろん、楽しい日ばかりかというと、違う日もある。友人にきつく言ったかなと、自分の言葉や態度が頭から離れない日や友人の言葉が胸に残る日もある。しかし、「今日は調子悪いや、何だかモヤモヤする。ごめん。」と一人でいると、察して、そっとしておいてくれる友人、そこをあえてかまって笑わせてくれる友人もいる。有り難いなと思う。前転すらまっすぐ回れず、走れば転ぶほどに苦手な体育も、素晴らしい運動神経をもつ友人を尊敬する時間として乗り越えている。こんな日々だ。
この学校生活を、なんと例えれば良いだろう。色彩やかで甘いドロップか、はじける感覚がときに気持ち良く、ときに痛い炭酸水か。いや、少し違う。甘いだけでも刺激的なだけでもない。そうだ、ガチャガチャだ。お金を入れて、取っ手を回し、カプセルが出てくるまでのワクワクする感じ、中身が当たりもあれば外れもある。でも外れもなんだか楽しい。あの感じだ。当たりもあれば外れもあるワクワクするガチャガチャのような私の学校生活。明日は、どんなカプセルが出るのか楽しみで、私はまた学校に行きたくなるのだ。
当時、中学校3年生の金松奏海さんの文章である。文筆力、構成の巧みさはもちろんであるが、この上ない「日大中学校の紹介文」である。
吾輩、感服の一言である。有り難しである。
「諫早文化」には、今回のみならず、長崎日大の生徒さん、卒業生の皆さん、先生たち、ゆかりの皆様の作品を毎号のように多く掲載していただいている。
諫早を愛し、芸術文化活動を支えていらっしゃる諫早市芸術文化連盟の皆様に心からの敬意を表する次第である。
本日はここまで。