招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 5/21・22

「ステイホーム」を遵守している昨今において、吾輩のテレビ視聴率も高くなっているような気がする。20日の夜も何となくテレビをつけていた。そこで見はまったのが、NHKの歴史秘話ヒストリア「福沢諭吉センセイのすすめ」という番組である。


1万円札の顔として有名な福沢諭吉。「学問のすすめ」といった著作などを通じて、日本人の「心」を大きく変えた。下級武士の家に生まれ、猛勉強で西洋の知識を身につけた福沢。欧米を旅する中で、男女差別や身分制度のない社会を見聞。発したメッセージは「一身独立して一国独立す」。学問を身につけて個人が自立し社会も変わるという信念は、その後、隣国・朝鮮にも向けられた。近代日本人の心のもちようをつくった偉人に迫る。

以上のような前置きから始まった番組はなかなかに面白かった。また、改めて「学問のすすめ」を読んでみたいなと感じさせるものだった。
そこで、自室の本棚、押し入れ等をかき回して発見したのが、以前、神田の古書店で購入した「学問のすすめ」である。画像にあるように、明治4年の発刊当時の装丁である。もちろん復刻版ではあるが、これも昭和47年頃のものである。

改めて、読んでみた。全編において金言・名言が多いこの著作であるが、特に吾輩が好きなのは以下の部分である。


されば今の日本に行なわるるところの事物は、はたして今のごとくにしてその当を得たるものか、商売会社の法、今のごとくにして可ならんか、政府の体裁、今のごとくにして可ならんか、教育の制、今のごとくにして可ならんか、著書の風、今のごとくにして可ならんか、しかのみならず、現に余輩学問の法も今日の路に従いて可ならんか、これを思えば百疑並び生じてほとんど暗中に物を探るがごとし。この雑沓混乱の最中にいて、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨そのよろしきを得んとするはまた難きにあらずや。
 然りしこうして今この責せめに任ずる者は、他なし、ただ一種わが党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。けだしこれを思うはこれを学ぶに若しかず。幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。

本当に、「ざっくりと」解釈すれば、
<今の日本において行われている様々なことは、果たして正当、適切と言えるものだろうか。多くの疑心が生まれ、暗中模索する状態である。このような混迷を極める中で、物事を正しく取捨選択することは非常に難しいことである。そして、そのような責務を背負える人がいるとしたら、それは正しく学んでいる人間たちなのである。現状を何とかするためには正しく学ぶことが最善の方策なのである。多くの書籍を読み、多くの意見を聴き、誠実に対応し、真実を見抜いていけば、今、明らかであると思われることへの疑問点も顕れてくるだろう。また、今、疑わしいと思われることも正体が明らかになることだろう。混迷を極める現在だからこそ、正しく学ぶ努力を続けなくてはならないのである。>

明治の初めに語られた弁であるが、何となく現在の世情に合っているような気がする。
本日はここまで。

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