招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R2 5/27

昨日の続きである。

個人の先入観に基づいて他者を観察してしまうことで、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強し、誤解が生じるという現象があり、「人は自分が見たいものだけを見、信じたいものだけを信じる」ということになる。これを戒めとしておくことは、個人としての仲違いやチームや組織としての不和から、世の中を刺々しく不安定にする混乱に至るまで、現代社会の平和と秩序を守るための「大切な防御」と言えるだろう。

と書いたところで、ふと思い出した。
「これに似た内容を何かで読んだような。」とである。

メモ書きなどをあれこれと見直してみると、見つかった。

本校もGEP(長崎日大独自の英語教育プロジェクト)の研修などでお世話になっている立命館アジア太平洋大学の学長である出口治明先生のご著書にあった言葉であった。出口先生は、『三国志演義』の「官渡の戦い」における曹操の行動を通して、「人間は見たいものしか見ない。だから、心の平静を保てる。」と綴られている。
さらに、
人間は「見たいものしか見ない」、あるいは「見たいように都合よく現実の世界を変換してしまう」という習性を持っています。
カエサル(古代共和制ローマ末期の軍人・政治家)も「人は現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと思う現実しか見ない」と指摘しています。
と続けていらっしゃる。ちなみに、カエサルは「ジュリアス・シーザー」と言ったほうがなじみがあるかもである。

冒頭に「現代社会の平和と秩序を守るための」などと述べたが、カエサルは紀元前100年~の人物であり、曹操の「官渡の戦い」は建安5年だから、西暦200年くらいだろうか。2000年も前から「人は自分が見たいものだけを見、信じたいものだけを信じる」などと言い続けているのである。

つまり、これは人間にとって「超難題」なのであろう。
だからこそ、戒めなければならない。飛び交う情報量が桁外れに増大している現代社会において、自戒の気持ちを持たなければ。お互いに戒めていかなければ。
長崎日大の生徒諸君! 
悪意のあるSNSや無責任な情報に踊らされることなかれ。
ましてや、心を痛めること、傷つくことなかれ。である。ひとりで悩むこと、苦しむことなかれ。である。
シーザーや曹操を超えていこう(笑)! 君たちならできる。長崎日大ならできる。

本日はここまで。

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