土日のオープンスクールを無事に終了し、ホッとしたここ数日であるりつつも、前々回の拙ブログでお話しした「私立学校初任者研修九州地区研修会」で拝聴した諸先生方のご講演内容を、記憶が新しいうちにと、まとめる作業に勤しんでいた吾輩である。
研修において一番大切なことは、「学びのまとめ」からの、「持ち帰っての共有」と「ひとつの実践」だと思う。
つまり、今回の研修での学びをまとめ、それぞれの立場で頑張っている長崎日大の先生方に提供すること、そして、自分なりに「これはいいな」と感じたことを実行してみようとしているところなのである。
今回の研修の中で、特に印象に残った(いずれも素晴らしいご講演であったが)のは、文部科学省初等中等教育局の長尾篤志先生の「新学習指導要領と授業改善」、東京大学の助教授職を経て、故郷大分に戻り、農林業を自営する林浩昭先生の「理系でもあり文系でもある生き方」であった。
この二つについては、機会あるごとに、長崎日大の先生方、生徒さんに話し、共有していきたい。
また、参加した若い先生たちの「食いつき」が一番良かったのは、別府大学客員教授であり、ナラティブコミュニケーション教育研究所所長である佐藤敬子先生の「元気の出る生徒指導~チーム学校のための開発的・予防的生徒指導~」
ではなかったかなと思う。
研修の2日目の朝イチであった。「あー今日は一日中びっしり研修だなぁー」というつぶやきが聞こえてきそうな若い先生たちの背中であった。
佐藤先生のご講演が始まると、空気が一変し、先生たちの姿勢が前のめりになった。かくいう吾輩も講演終了後、一目散に講師控室におしかけてしまった次第である。
佐藤先生の言葉を、ちと、ご紹介しておこう。
思春期は3人の自分を行き来する。
一人目は、本当の自分、ダメだなぁと思っている自分。二人目は、期待されている自分、いい子でいようとする自分。三人目は、本当はこうなりたい、自己実現を図りたい自分。
ひとりの中で入れ替わっている。1日の中で入れ替わっている。
どれが自分なのか、わからない。苦しい。
それが思春期にある生徒たち。
生徒理解のポイントは、
相手を理解することではなく、「わかろうとすること」、すべてわかるのは不可能だが、わかろうとすること。
自分が聞きたいことを聞くのではなく、相手が言いたいことを聞く。
自分の関心より相手の関心を「聴く」。
コミュニケーションは長さよりも回数。
相手にとって「話を聴いてもらいたい人」になること。
変化をほめる。行動・姿勢をほめる。存在をほめる。
「否定質問」よりも「肯定質問」、「なぜ、できないの?」よりも「どうすれば、できるかな?」
「過去質問」よりも「未来質問」、「どうしてやらなかったの?」よりも「今からできることは何かな?」
叱るときこそ「認める」。
「叱る」を「認める~期待~」と「認める~感謝~」で挟む。
「叱る」とは、行動の変容を求めること。リングの隅まで追い詰めない。
人格を否定しない。人前で叱らない。穏やかな口調で。短く。他人と比較しない。過去を蒸し返さない。ともに改善策を考える。
長崎日大の「拍手が起こる生徒指導」、肥田剛一先生の顔が浮かんだ。
本日はここまで。