招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R3 7/8・9

拙ブログをご覧の皆様も耳にされたことがあろうかと思うが、「高校生平和大使」についてである。

核兵器廃絶を求める署名を国連に届ける活動を続けてきた「高校生平和大使」の今年のメンバーに、全国からこれまでで最も多い35人が選ばれた。

高校生平和大使は、1998年、インドとパキスタンで相次いだ核実験に危機感を持った長崎の被爆者らが、核兵器廃絶の声を国連に届けようと地元の高校生2人を派遣したのが始まりで、その後、核廃絶の署名を集めて国連に届ける活動が全国に広がった。

その「高校生平和大使」の第24代メンバーに、長崎県内からは過去最多となる、長崎市や佐世保市などに住む高校1、2年の男女8人が選ばれた。過去最多の選出となったのは、コロナ禍で難しくなっている活動の幅を広げるのが狙いだそうな。

長崎日大の高校2年生、川端悠さんも、その中の一人である。
先日、担任の池田先生とともに報告に来てくれた。

川端さんは、長崎市の山里小学校の卒業生で、幼い頃から平和活動に興味関心が高く、全校生徒の前で「あの子」という曲を歌うこともあったと聞いた。

ちなみに、「あの子」とは、
たった一発の原子爆弾で1300人の「あの子」の命が奪われた、山里小学校のこどもたちのために作られた歌である。「長崎の鐘」の永井隆博士の作詞である。作曲は、木野普見雄さんで、市役所での勤務中に被爆し、妻子3人を原爆で亡くし、戦後は、平和を願う音楽の作曲活動を行った方である。
現在も山里小学校で歌い継がれ、長崎県原爆犠牲者慰霊平和祈念式典でも児童合唱で歌われている。

吾輩も改めて、ソプラノ歌手の西尾薫さんの歌唱を聴いてみた。その映像とともに、西尾薫さんからのメッセージが綴られていた。

「あの子」は歌っていても涙がでるような曲ですが、この曲が作られたのは、身近なあの子を失った悲しさ、戦争、原爆の悲惨さ、そして二度とこのようなことが起こってはならない。平和を願うためです。年月が流れ、戦争を経験した人は本当に少なくなりましたが、
だからこそ語り継ぎ、歌い継いでいかないといけません。この曲が令和の時代も、これからもさらに広がっていきますように。平和を願って。

「長崎で生まれ育ち、そして、長崎で学ぶ私たちには、人類の福祉と世界の平和に貢献する使命がある。」

この言葉は、長崎日大の現理事長である力野先生が校長時代に、生徒さんたちに何度も語っていたものである。

今年も8月9日が近づいてきた。

まだまだ続くコロナ禍の中、長崎日大の皆さんが、平和を尊び、今ここに生きている喜びを感じ、自分も他者も大切にする意識を改めて再認識していきたいものである。

「世界の平和を考えるなら、まず、自分のとなりにいる人にやさしくしなさい。」マザーテレサの言葉が頭に浮かんだ。

本日はここまで。

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