招き猫先生の『ことちか日記』

招き猫先生の『ことちか日記』R4 7/30・31

夏休みの週末である。
夏季進学講座はお休みであるが、部活動の練習は元気いっぱい!ただし、熱中症対策など体調管理には気をつけつつ、熱く続いている。

朝から練習に臨む生徒さんたちに「頑張れー、水分補給も忘れずにー。」と声をかけていたところ、中学校校舎前にたたずむお母さんと生徒さんが。

「何かお困りじゃないですか?」と尋ねると、「都合により土曜日に三者面談でした。」とのこと。

「なるほど、そうでしたか。」とその場を立ち去ろうとすると、

お母さんから「私、卒業生で、先生に国語習ってました。」との一言。

「えーっ、いつ頃ですか?」と尋ねると、

「紺ブレ※の最後の世代です。」

吾輩注※「紺ブレ」とはもちろん、紺のブレザーのこと。長崎日大の初代制服を意味する。ちなみに、現在の制服は平成2年の高1からスタートした2代目である。

「ということは、吾輩が初めて学級担任として卒業生を見送ったあの世代か。」と、旧姓をお尋ねすると、記憶がよみがえってきた。

「先生は担任じゃなくて、国語の教科担当だったんで覚えてないかなと思ってました。」とお母さん。

現在子どもさんが中学校に在籍中だそうな。有り難しである。

ここのところ、中1から高3までの三者面談が絶賛開催中であるから、保護者様のご来校が多い。

つい先日も、昭和61年度着任したときの、高校3年生と高校1年生が保護者様として訪ねてきてくれた。年齢を痛感する吾輩である。

近頃は、平成のひとけたくらいに卒業した皆さんが時を経て、今度は保護者様として会いに来てくれる回数が増えてきた。

「同窓会ってタイムマシンみたいですね。」再会すると一瞬であの頃に戻って話ができますから。」とは、先日再会した卒業生の言葉である。

けだし、名言である。

 

長崎日大に棲み着いて37年目となる吾輩である。

日曜日、過去の卒業アルバムをめくってみた。

自分でも驚くほど覚えている。どーでもいい細かいことまで。

教員不足が報じられて久しい昨今であるが、「学校の先生って良い職業だと思うんだけどなぁ」とつぶやく吾輩であった。

 

本日はここまで。

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